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 今日の状況はまさにこのような類のことで穴だらけです――偉大な僕たちが神によって起こされ、用いられます。それらの僕たちはまったく神からであり、信仰の人、信仰の僕であって、神の力と神の信仰を証しします。それは神に信頼することによってであり、助けを求めて肉や世に決して頼りません。この人々はまさにこの路線で攻撃を受けつつあり、彼らの高い立場から降りつつあります。訴えを始めて、自分たちの必要をあらゆる方面に知らせ、支援や名声を得ようとし始めつつあります……これをあなたはすっかり御存知でしょう。これは霊の命を麻痺させるものの侵入を表しています。あらゆる領域やあらゆる事柄における神の絶対的主権の証しを損なうために、敵は巧妙に行動しています。それは御自身の道を進む神の主権を損なうためです。

 これがミデアン人の中身であり、あなたがこの問題に取り組む時、ミデアン人が顕わになります。ミデアン人に関して何と多く述べられていることでしょう。彼らがその国を制圧していたのです!彼らは砂やイナゴのような大群でした。彼らはすべてを食い尽くしました……まさに神の食物をも食い尽くしました。そしてこの箇所で、ギデオンはミデアン人を恐れるがゆえに、壁の背後で少しの穀物を貯えて、それをブドウ絞り場に隠そうとしています。なぜこのような霊的飢饉があるのでしょう?なぜこれほど食糧問題が深刻で、至る所で人々は「私たちは霊の糧を得ることができません。みな抜け殻で、イナゴが食い尽くしてしまいました」と言っているのでしょう?これはこの世が神の民の間で神の事柄を牛耳っている必然的結果です。

 教会はこの世によって捕われ、この世によって穴だらけにされてきました。教会はこの世とその供給源に頼っています。その結果、食物はなくなりました。私たちは、今日の私たちの周囲の状況の性質を理解しなければなりません。人々は霊の糧に飢えています。これを理解することと、その理由を知ることとは別問題です。その理由を知らないなら、それを扱うことはできません。それは主が御民の全き分ではないためです。ですから、主が絶対的に御民の分である地点、主が全き分であって主以外の何も見ない地点に立ち返らなければなりません。そして主がすべてとなって御自身の地位を得られる時、あなたは十分な栄養を受けて養われ、主は御自身の権益を顧みることができるようになります。ミデアン人はすべてを食い尽くします。彼らはあの巧妙な関係を表しています。それは、主ではなくこの世を見ることであり、主の事柄に関して主ではなく他の供給源を当てにすることです。その結果は霊的弱さです。これはあなたをギデオンの件に導きます。


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 これに関する主御自身の御心が何か、私たちは読みました。ヨハネはこの御心をとてもはっきりと私たちに示します。この世からのもの、あるいはこの世にあるもの、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢はみな、この世からであり、神に敵対しています。これはミデアン人でありバラム主義です、これこそが、先ほど黙示録から読んだこの教会に対する「あなたのところにはバラムの教えを教える者たちがいる」という重大な非難をもたらしたものです。もっと簡単に言い換えると、次のようになります。すなわち、そこには世的方法、世的手段・供給源、世的方針を神の事柄の領域の中に、そして神の民の間の中に導入する人々がいたのです。

 まさにこの点に関して、私たちはみな、理解している以上に遥かに狡猾な攻撃を受けています。これは醜悪な俗っぽさを導入する問題であるだけではありません。時として、世的な知恵を少しばかり導入する問題でもあります。例えば、決定を下すとき、まったく聖霊からのものではないのに、私たちは人の標準的な価値観や判断を用いてしまいます。また、時として私たちは、利益を得るために、抵抗の少ない道を取るよう誘惑されます。圧迫、逆境、試練の日に、あらゆることで主に信頼する高い立場から降りて、その状況に処するために主にすがらないのです。その代わりに、私たちはその状況に処する都合の良い道に向かってしまいます……これはご都合主義であり、切り抜けるために人間的交渉、支援、肉の煽動に少し向かうことです。これはみなこの世の霊であり、時々とても巧妙な方法で働きます。そして、それが道を指図したり、決定を支配する時、妥協の状態が生じます。この状況では、聖霊はなすすべもなく後ろに立っていなければならず、私たちがそれに取り組むままにされます。そして、私たちは自分たちが恐ろしい束縛と霊的弱さの中にあることに気づきます。この誘惑によって、今日、主の民の大勢が打ち負かされています。


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聖書朗読:士師記六・二四、ヘブル一三・二〇~二一、黙示録二・一四、一七、一ヨハネ二・一四~一七、一ヨハネ四・四~六、ヨハネ五・四~五

 この特別集会では霊の力の回復の問題に専念してきました。聖書的には、その背景の大部分は士師記です。この書を網羅したわけでは決してありませんが、それでもここには霊の力の回復というこの大問題に関する主の民への教えがかなりあります。しかし今、主はこの書の一つの箇所に私たちを専念させようとしておられるように感じます。それは六章と七章のギデオンに関する箇所についてです。

 この士師記は霊的弱さと失敗の書であることを私たちは見てきました。そこに示されている主の民の失敗と弱さから、弱さの原因は何なのか、したがって力の秘訣は何なのかを私たちは学びます。さて、ギデオンに関してこの問題全体を取り上げるのはほぼ不可能です。私たちはごく少数の点で満足しなければなりません。しかし、それらの点は私たちにとってとても大きな益になると私は信頼しています。

四章ではギデオンとミデアン人について述べました。そして、ミデアン人の歴史は御民の間で神に属する事柄に干渉するこの世の歴史を示している、と述べました。繰り返させてもらうと、ミデアンがモアブと共にバラムを雇いました。それはイスラエルを呪い、それによって彼らを束縛・敗北・麻痺・弱さ・恥辱の状態の下にもたらすためでした。これは直接的方法では成就しませんでしたが、間接的方法で最終的に成功しました。バラムは呪うのではなく祝福するよう強いられましたが、霊的姦淫を犯すようイスラエルをそそのかすことによって同じ成果をあげました。つまり、周りの諸国民と宗教的に同盟を組むようそそのかしたのです。ですから、バラム主義とはこの世が神の事柄と関係を持つのを許すこと、神の民がこの世との交わりや関係の中に入るのを許すことです。これがおそらく何ものにもまして神の民を霊的弱さの中にもたらしたものです。見識のある人なら誰でも、次のことがはっきりとわかります。すなわち、神の民を麻痺させる敵の一大戦略は、これまでずっと、何らかの方法や何らかの形で、彼らとこの世の間にある関係を生じさせることだったのです。彼らがこの世との交わりの中に入る時、彼らの力は損なわれ、自由は奪われます。そして、彼らは自分たちが麻痺的束縛の中にあることに気づきます。


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 ペテロはパウロのだいぶ前に救われました。ペテロは主が肉体の中にあった日々、主と共に歩みました。ペテロは十字架に付けられ、復活し、天に迎えられたキリストを見ました。ペテロはペンテコステと聖霊降臨の場に居合わせて、聖霊の力の中で宣べ伝えました。彼は大群衆の救いに用いられました。ペテロは教会の柱の一人です。しかしガラテヤ人の手紙を開いて読み始めると、ずっと後に登場したパウロがこう述べています、「ペテロが下って来た時、私は面と向かって彼に抗議しました(中略)なぜなら、ある人々がエルサレムから下って来る前は、彼も中に入って異邦人たちと共に食事をしていたのに、ヤコブと他の数人がやってきたら退いたからです」。妥協です。名声のための妥協、兄弟たちにどう思われるかを気にするがゆえの妥協です!パウロは「私は面と向かって彼に抗議しました」と述べています。ここに比較的信仰の若い人がいて、妥協することなく、使徒たちの長の一人に抗議しています。これは年の問題ではありません。原則の問題です。人々がどれだけ長くこの道にあったかではなく、偶像を避ける問題です。彼らは「私たちはあなたよりも主をよく知っています」と言いますが、それが原則の問題なのかどうかを決して気にしません。あなたは人から色々なことを思われる危険を冒さなければなりませんが、自分の立場に立たなければなりません。何があっても、いかなる代価を払っても、この世の何ものも中に入れてはなりません。

 ハゾルの王であるヤビンを打ちなさい。今日、この働きをするギデオンたちを主は起こさなければなりません。これらのものはみな、霊の事柄の領域の中に入って来て支配する天然の命の何らかの様相や面を表しています。それは霊の力を損ない、御民における主イエスの絶対的至高性に対して直接反対します。多くの争点があるかもしれませんが、決定的な一つの問題は「誰が主になるのか?イエス・キリストか、それともこの世の神か?」ということです。興味深いことに、コリント人たちに対してこの両方のことが述べられています。「この世の神が盲目にしました」……「私たちはイエス・キリストを主として宣べ伝えます」。これらがその結果であり、次のような根拠に基づいて決着がつきます。すなわち、肉とこの世、天然的理解力と天然的知性という天然的要素の一つ一つがどれだけ屠られて、私たち自身がどれだけ無に帰すための道具となったのか、という根拠です。どうか私たちがそのような道具となりますように。


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 私はミデアン人を対処しなければなりません。今日、彼らは私たちの大きな問題の一つです。ギデオンはミデアン人を対処しました。彼らは多くの言葉で、イスラエルを呪いの下にもたらすためにバラムを雇いました。イスラエルは主の力と栄光の中にありました。旧約聖書に記されている麗しい事柄の一つは、神がバラムに強制的に言わせたことです。彼の口が発したのはとても素晴らしいことでしたが、それが実現するのを彼は望みませんでした。しかし、イスラエルを呪って、それで主の栄光を損なうためにバラムを雇ったのはミデアン人でした。この直接的呪いは失敗しましたが、あなたはこの物語を御存知でしょう。バラムの心は現在の上に定まっており、そこで彼はイスラエルに姦淫を犯すことを教えました。つまり、周囲の諸国民と同盟を結ぶことです。この世との同盟――これが霊的姦淫の意味です。その結果、イスラエルは倒れて彼らの証しを失いました。ミデアンはこの世と世的同盟とを表しています。とても奇妙なことに、ミデアンという名は「争い」を意味します。これまで、神の民とこの世との間の同盟が大部分の争いの大きなきっかけだったのではないでしょうか?神の民の間にこの世のものを導入するなら、まもなく混乱や争いが生じます。まったく主から出ている麗しい点があったとしても、もし誰かが少しでもこの世的なものを導入するなら、まもなくそれはすべてバラバラに引き裂かれてしまいます。今日、この争いはこの一事によります。この世は常に神からのものの中に入り込もうとしています。誰かが世的方針、世的方法、世的手段、世的判断を持ち込むと、主のもとに行ってそういったすべてのことについて主に信頼する代わりに、それらを受け入れてしまいます。もし世的な方針が導入されるなら、それは引き裂かれて、争いが生じます。これがミデアンです。

 あなたはどうするつもりでしょう?主を確かに知っており、私たちよりもずっと長く主と共に歩んできたこれらの親愛なる神の民が、それでも世的な要素を含むものに逸れていくのを見るのは、とても辛いことです。私たちは妥協するのでしょうか?


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