さて、愛する人よ、この世界とこの宇宙の支配権は天上に集中していることを思い出して下さい。これを忘れないようにしましょう。今の時代、この暗闇の世の支配者たちは天上にいます。天上でまさに今、主権者たちと権力者たち、この暗闇の世の支配者たちが働いています。彼らは自分たちの働きを徹底的に行っています。ああ、そうです、このような時代はかつてありませんでした。諸国民の間におけるサタンの邪悪な働き、諸国民の道徳的堕落が明らかになりつつあります。顕わになりつつあります。キリストの外にあるこの世に関する限り、支配権は天上にあります。そのすべての上にある神の主権のための余地を私は残していますが、いま述べているのは人による法理的・合法的統治のことです。サタンがキリストの外で支配権を持っているのは、人が同意したからであり、人は依然として同意しています。世の中で行われている不正行為を残念に思っているこの国の人々、いま行われていることの邪悪さを極めて大声で激烈に非難しているこの国の人々ですら、もしあなたが御座に着いておられるキリストに従って彼らに語りかけるなら、彼らはあなたに耳を傾けようとはしません。「神に地位を与えろだって!――そんなのは偽善的な物言いだ!」。彼らは別の方法でそれに取り組みます。サタンはこれほどまでに支配しているので、不法を非難する人々ですら、神とその義に地位を与えません。しかし、これはついでの話です。

 さて、この支配権、道徳的支配権は天上に与えられています。もしくは、その座は天上にあります。そこに見られる邪悪な階層組織はその支配を譲らなければなりません。そして、教会の定めは主権者たち・権力者たち・この暗闇の世の支配者たちの地位を奪って、天上を占領することです。ですから黙示録一二章では、すでに見たように、「勝利者たち」「男の子」が神の御座に引き上げられます。そして、天上にはもはや赤い龍とその軍勢のための場所はなくなります。

 このように今、天上で、教会と主権者たちとの間で霊的戦いがなされています――そうです、この戦いはあなたの台所にまで及びます!あなたが漠然とした曖昧な観念を持つことがないように、私はこう言わなければなりません。不愉快な日々の仕事のただ中で、天上の戦いが進行中です。天上の戦いに参戦するために、ある地点に到達しなければならない、ということはありません。それは霊的・道徳的戦いです。教会は日々の生活の中でこの戦いを戦っているのです。


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サタンの狙い――教会の地位の無効化と、腐敗による戦い

 それでは、そもそもサタンの狙いは何でしょう?堕落させること、そしてそれにより教会をその霊的地位から引きずり下ろすことです。ですから、「あなたがどこから落ちたのかを考えなさい」といった御言葉があります。これはエペソの教会に対して述べられています。「あなたは初めの愛から離れた」。使徒行伝一九章に戻って、この初めの愛に注目して下さい。パウロはエペソにやって来ます。そこで彼がキリストを示すことにより、何が起きるでしょう?なんと、彼らの多くが魔術に関する貴重な、そしておそらくは値段が付けられないほど高価な本を持ってきて、燃やしてしまったのです。その総額を見積もると、とんでもない額になりました。それがすべて燃えてしまったのです!エペソにはデメテリオのように商売の収益をとても気にしている人がいましたし、資本主義がとても重要な要素でした。また、金に大きな意味がありました。このエペソのような都で、巨万の富がこのようにささげられたのです。なぜでしょう?彼らは心を尽くして主に立ち返ったからです。イエスの証しは受け入れられて、確立されました。何ということでしょう!エペソの長老たちに対するパウロの話を覚えておられるでしょう。霊の事柄の何と素晴らしい開示、何という関係でしょう!彼が聖霊の助けによりこの手紙――それはエペソを基点としてアジアの諸教会を行き巡ることになる手紙でした――、天的啓示の手紙を書いたのも頷けます。何という啓示、何という地位でしょう!しかし今、黙示録二章ではエペソに対して「ああたは初めの愛から離れた」と述べられています!あなたはかつてのようにはキリストを大事にしておらず、嗣業を大事にしておらず、天的事柄を大事にしていません。「あなたがどこから落ちたのかを考えなさい」。落ちた!ここに霊的堕落があります。エペソの地位から引きずり下ろすサタンの働きがあります。それゆえ、勝利者は神の完全な現われのために立つ一人の人あるいは一団の人々です。そして、神の完全な現われは天的な民です。彼らによりこの宇宙の中で神の道徳的栄光がますます現わされて行き、究極的には完全に現わされることになります。これはあの都、天から出て神から下って来る新しいエルサレムです。この都は神の栄光を帯びており、その光は最も高価な灯火のようです。これが、それに向かって神が働いておられる目的です。


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 力、原則、性質としてのこの天的性質は、何と素晴らしいものなのでしょう!そして、極めて偉大な尊い諸々の約束が私たちに与えられています。それらの約束により、私たちは神の性質に与る者となることができます。もちろん、サタンはこれまで流布してきた誤謬の限りを尽くして、ここに割り込んできました。それはまさにこれを覆すためです。サタンの誤謬は常に、人における神の性質の現れ・顕現というまさにこの問題と関係していました。一方において、主イエス御自身のパースンがサタンの誤謬の対象とされてきました。そして、その神聖な子たる身分が実際とは異なるもの、実際よりも劣るものとされてきました。他方において、それと対をなす誤謬は、人はもともと神聖であるという誤謬です。進化論の目的は人を神とすることです。神は人の中にいる、とすることです。ああ、今日の哀れな哲学!しかし、この問題にはこれ以上立ち入らないことにしましょう。サタンが導入した誤謬はみな、まさにこの問題に触れるものであることがわかります。人による神の性質の現れについて述べる時、私はこれらの誤謬を避けています。人の内におられるイエス・キリストにあって、神の性質が現わされるでしょう。私たちが神の御子のかたちに同形化される時、神の性質が現わされるでしょう。それは道徳的栄光であり、神格の栄光ではありません。私たちは決して神になることはありませんし、神格化されることもありません。そうです、神は独自の存在であり続けますし、神格は永遠に被造物とは無限にかけ離れているでしょう。しかし、キリストの中にある神の道徳的栄光・道徳的性質は、教会によって代々限りなく輝き渡るでしょう。

 さて、これが天的性質であり、私たちが道徳的・霊的に着いている地位です。これは、信仰による神の義を正しく適切に理解することによります。それは地位であり、途方もない地位です。神の御旨が成就された暁に、その結末がどうなるのか、サタンは知っています。その結末は、サタンのすべての腐敗から、したがってそのすべての力から絶対的に清められた宇宙であり、神の栄光で輝き渡る宇宙です。


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天的性質の目的――教会における神の栄光の現れ

 コリント人への第一の手紙の一五章で使徒は以下のような言葉を用いています。

 「土に属する人に、土に属している者たちは同じであり、天に属する人に、天に属している者たちもまた同じです」(一コリ一五・四八)。「天に属する」――これは確立済みのものです。天的なものとして確立されているものです。次に、この節の後半は「天に属している者たちもまた同じです」と述べています。これは天的なものへの同形化について物語っています。再び問いますが、この嗣業、この天的性質とは何でしょう?御自分の宇宙を創造した神の目的、特に人を創造した神の目的は何でしょう?それは、御自身の性質の中にある御自身の栄光を輝き渡らせることに他なりません。御自身の性質の本質的栄光、神の性質の栄光を輝き渡らせることに関して、罪深い人は無力であり、何もできません。弱く、無能です。それはありのままの神であり、自分自身を現わす神の本質的性質です。神は御自分の栄光のために人を造られました。最終的に、神が試練を通して人を肉体的存在としてだけでなく道徳的存在としても完成される時、人は神の道徳的栄光を現わす媒体となります。そして神は全宇宙で御自身の本質である道徳的性質を現わされます。人はそのように造られました。これは栄光、言い尽くせない栄光であり、今や御子による贖いの道筋に沿って私たちに提供されています。神は「私たちの心を照らして、イエス・キリストの御顔にある神の栄光を知る知識の光を与えて下さいました」。ああ、肉体的観念をここでも取り除きましょう!この顔の意味は表示に他なりません。それはこの人、この代表者です。神の栄光は代表者であるイエス・キリストにあって来ました。さらにキリストは私たちの心の中におられ、私たちの内におられるキリストは栄光の望みです。どんな栄光でしょう?今、太陽が天の中心であるように、最終的に、神が獲得して御子のかたちに同形化した人々がこの宇宙の中心となることです。神の道徳的栄光の輝きのまさに中心・充満となることです。このような宇宙について考えてみて下さい!そして、今わたしたちが生きているこの世界と比べてみて下さい。結末はこうなります。「この御方に栄光が、教会により、またキリスト・イエスにより、代々限りなくありますように」。これが神の天的御旨であり、神の天的民であり、キリスト・イエスによる神の天的召しです。


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 聖書の冒頭の創世記と、エペソ人への手紙の中に示されている神の御心の高度な啓示とをつなぐ二つの御言葉が見つかります。エペソ人への手紙は、神の永遠の御旨、神の計画に関して私たちが持っている最も完全な啓示です。この手紙の中に、聖書中の他のどの箇所よりも完全に、世を造る前に神の御心の中にあったものが示されています。次に、創世記第二章の中に、エペソ書五章で引用されている節が見つかります。

 「それゆえに、人は父と母を離れてその妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。この奥義は偉大である。しかし、私はキリストと教会のことを言っているのである」(エペ五・三一~三二)。神の御旨を見るには、エペソ五章から創世記二章まで、そしてさらにその前まで遡らなければなりません。人と妻のこの一体性は象徴にすぎず、永遠の過去からの神の御旨――キリストと教会――の表われである、と述べられています。これは代々の時代や世代にわたって隠されていた奥義である、とパウロは述べています。これが神の御心の奥深くにありましたが、今や知らされています。このように、夫と妻の関係のような人間関係は、神の御思いによると、何かの表われ、天的な何かの表われです。私が言わんとしていることの一例として、私はこれを選んだにすぎません。神の目に見える被造物のどこにおいても、この同じ原則が成り立っていることがわかります。それは霊的思想、霊的観念の表われです。

 さてそれから、神が人を創造されたのは、地に人を住まわせ、生息させ、地を人で満たすためだけではありません。それには霊的観念、天的思想が伴っていました。それは人を天的な存在にならせること、その存在のまさに中心が天的である人々にならせることです。天的性質が神の全被造物を支配している大原則であり、これは途方もない変化を私たちに生じさせます。パウロは、「どうか彼が知恵と啓示の霊を与えて彼を認めさせて下さいますように。彼の召しの望みがどんなものであるのか、また聖徒たちの中にある彼の嗣業の栄光がどんなに豊富であるのかを知ることができますように」と祈りましたが、これがパウロが言わんとしたことです。私たちも自分自身のために、また互いのために、祈らなければなりません。聖徒たちの中にある彼の嗣業――これは天的なものなのです!


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