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(c)御霊の働き

 また、これは御霊の働きから明らかです。これが意味するのは、第一に、御霊はイエスの霊であるということであり、第二に、彼は聖霊であるということです。これによって、すべては言わば試されます。キリストの偉大さは教理や、何らかの事実の宣言ではありません。それはあらゆる方面から実際的に検証されます。さてそれでは、聖霊の御前で既知の罪を抱えたまま逃げようとしてみて下さい。そして、前進できるかどうか見て下さい。聖霊が指摘しておられるものを対処せずに霊の命を成長させようとしてみて下さい。そして、どれくらい遠くに辿り着けるのか見て下さい。これが証拠です。神のあらゆる御旨の頂点は内住する聖霊の賜物であり、聖霊の働きはすべてイエス・キリストの絶対的偉大さと栄光に基づきます。彼はごく小さな点に至るまで働いておられます。それはキリストにしたがっているでしょうか?それはキリストに栄光を帰しているでしょうか?それはキリストを反映しているでしょうか?聖霊が「これはキリストに反しています」と仰せられたのに、私たちがそれに対して自分の目を閉ざし、それを無視して、反逆的であるなら、たとえ次の半世紀生きたとしても、私たちの霊の命はただちに阻まれ、私たちはそれ以上前進できなくなります。聖霊はキリストのために妬むほど熱心です。結局のところ、クリスチャン生活とは何でしょう?それは一組の教理に同調することや、一組の規則に従うことではありません。キリスト教はキリストであり、他には何もありません。聖霊は私たちをこの状態に保って下さいます。ですから、すべてが試されます。これまで述べてきたことをみな、聖霊は実際問題とされます。

 さしあたってこれについてはここまでにしなければなりませんが、あなたは今やキリストとの合一の意味を垣間見ているのではないでしょうか?ああ、神はほむべきかな、キリストとの合一は、神は彼に完全に満足しておられること、そしてそれゆえ、彼の中にある私やあなたにも満足しておられることを意味します。あなたはこれを把握されたでしょうか?これはクリスチャン信仰の基礎の一つですが、私たちはそれをどれくらい長く把握してきたでしょうか?「自分たちは標準に達しないのではないだろうか」と私たちはあまりにも恐れています。あなたはただイエス・キリストを、あなたのすべての必要を満たす神への答として、信仰によってしっかりと握らなければなりません。そうするなら、聖霊は御自身の立場を獲得されます。大事なのはキリストです。私がいかなる者かではなく、彼がいかなる方かです。そして、これがすべての問題を網羅します。神は彼に満足しておられ、その結果は栄光です。「あなたたちの内におられるキリスト、栄光の望み」(コロ一・二七)。前進できることがわかります。彼が答です。これはすべて神の恵み、素晴らしい恵み、無限で無代価の恵みによります。キリストとの合一はあらゆる問題に応じ、神を満足させ、私たちを栄光にもたらします。


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彼の偉大さは次のことから明らかである

(a)彼が神を満足させたこと

 彼の偉大さは彼が神を満足させたことから明らかです。これは言うまでもありません。神は無限に聖なる方であり、御子を御自身の喜ぶ者として、御自身の喜ぶいけにえを捧げる者として証言されました。そしてそれによって、彼に関する完全な満足を表明しておられます。数々の絵図や型や象徴によると、キリストに属するすべてのものに対する判決は、神は満足しておられるということです。彼の偉大さは彼が神を満足させたことから明らかです。

(b)彼の贖いの御業

 これは彼の贖いの御業から明らかです。なぜなら、罪人は罪人を救えないからです。自分自身の生活と経験の水準を超えて、誰かに益を及ぼすことはできません。キリストが徹底的・決定的・究極的な贖いと救いを達成するには、彼は徹底的かつ完全に罪なき者でなければなりません。彼の贖いはそれに基づきます。


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(b)人はこれを感じている

 人はこれを感じています。それでもやはり、それが意味することを皆が知っています。何らかの方法でイエス・キリストに関して言及される時、人の内にある本能が湧き起こります。それは冷やかしや「すました優等生」といった批判から公然たる敵意に至るまで様々です。そして、それは人の良心に触れたからです。この御方の前では人は居心地が悪く、場違いに感じるのです。自分の存在には何か悪いものがある、と感じるのです。あなたはそれを御存知です。一言も発しなくても、もしキリストがあなたの中におられるなら、あなたはマークされます。人はこの霊的・道徳的卓越性を感じ、そして不快に思います。人はキリストの偉大さを感じています。そして、彼の御前では自分が哀れで惨めな卑しい者であることを感じて、居心地が悪く感じるのです。

(c)地獄は堕落させようとする試みによってそれを証明する

 地獄はこれを証明します。さんざん述べてきましたが――地獄は堕落させようとする試みによってそれを証明します。キリストは目標であり、万物の相続者です。そして、この嗣業は神の御子のかたちに同形化されて聖なる不朽のものにならなければなりません。したがって、彼からその嗣業を騙し取り、神の御旨を打倒する唯一の方法、神の御子の道を回避する唯一の方法は、何らかの方法で堕落させることです。これはこれまでずっとそうでした。多くのことが心に思い浮かびます。


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(a)天はこれを知っている

 天はこれを知っています。そして、これが彼が聖霊で油塗られた理由です。なぜなら、旧約聖書には数々の油塗りがある一方で、それらは部分的・一時的なものであり、それらには何の豊かさもなく、何の永続性もなかったからです。それらは一時的な目的を果たすためのものでした。彼は豊かに、また決定的に、神から油塗られました。彼は永久に油塗られた者であり、神は彼に御霊を限りなくお与えになりました。しばしば述べてきたように、油を塗ることは神が御自身を委ねられることの象徴に他なりません。神は御自身の諸々の要求に応じていない状況にそのように御自身を委ねられる、とあなたは思うでしょうか?天は彼について「あなたは私の愛する子、あなたを私は喜ぶ」と証言しました。

 彼は試みを通って勝利しました。彼の内側の状態は、あの悪しき者自身の汚れた手によって、あらゆる形・種類の試みにさらされました。そして、霊的に汚そうとするあらゆる試み、すなわち、彼御自身と神との間に何かを介入させて、この関係と交わり、そして神と共なる清い聖なる真実な歩みを損なおうとするあらゆる試みに対して、彼は勝利されました。彼は勝利して上に立ち、呪われた地と接触させて神の祝福の圏外にあるものとのつながりを生じさせようとするあらゆる試みに対して勝利しました。これが彼の卓越性です。それは内的です。天はこれを知っています。


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 悪鬼どもは彼のことを受肉前から知っていました。「私はあなたが誰か知っています。神の聖なる者です」(マコ一・二四)。これはあなたを旧約聖書の遥か昔に連れ戻します。一人の預言者から「義なる者」という句をパウロは引用します。いわゆる堕落を通して罪が侵入した最初の時から、聖なる者、義なる者の探求がなされてきました。義なる人はどこに見い出されるのでしょう?もし彼を見い出せるなら、彼はすべての問題に対する答です。この義なる御方の無数の絵図が私たちに与えられています。アベルは義であるとの証しを得ました。その信仰のゆえに、アブラハムは義と称されました。ノアは義の宣教者でした。聖書を知っているあなたなら、これ以上私の後を追う必要はありません。義なる御方についてのこれらの絵図がたくさんあります。しかしこれらすべての絵図には失敗もありました。そのため、完全に義なる御方を求めるこの探求は依然として答を得ておらず、かなえられていません。依然としてこの義なる御方、この聖なる御方を求める叫びとため息と共に旧約聖書は閉じます。被造物は宙ぶらりんのままです。人々は依然として輝かしい御旨の実現を待ち望んでいます。ある本質的状態の上に、人の中の内的状態の上に、運命がかかっていました。儀式的状態ではなく内的状態にかかっていました。すなわち、内的な義と聖さの状態にかかっていたのです。この状態が人の内に見い出されるまで、すべてが宙ぶらりんでした。ある状態がなければ、この偉大な素晴らしい御旨・運命は実現不可能でした。この点に集中して、これについてよく考えて下さい。神は最善を尽くして人々を助け、励まし、そこにもたらそうとされました。しかし、謹んで述べさせてもらうと、神の御旨は挫折したという感覚があります。神が主権的行為により人々を切り抜けさせて栄光にもたらすことを、状況は許しませんでした。神はそうすることができませんでした。すべてが内なる状態にかかっていました。ある内的状態がなければ、神の御旨の実現・成就は不可能であり、御旨達成の可能性はありませんでした。神は儀式的状態によって彼らをできるだけ連れて行かれましたが、それがどのように失敗したのかを私たちは知っています。逆に、儀式的状態では内的状態はまったく手に負えませんでした。秘跡はこれを達成しません。義の内的状態がなければなりません。

 ああ、神はほむべきかな、キリストの内的状態はすべてを可能にする状態でした。そうです、キリストの卓越性は彼の内的状態であって、彼の法的身分や公的地位ではありませんでした。常にこれを覚えておいて下さい。彼は義式、秘跡、祭儀、規則、挫折したあの体系をすべて遥かに超えて行かれました。彼は内的な在り方のゆえに、それをすべて凌駕されました。これが彼の卓越性です。


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