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 宗教についてのこの霊的見解――真の教会は目に見えない教会であるというこの見解――と全く首尾一貫して、シュヴェンクフェルトは真の礼典は内面的かつ霊的な礼典であって、旧約聖書の礼典のように律法的かつ外面的ではないと教えた。「神は自ら、すべての外面的手段とは別に、キリストを通して、魂に触れ、その内に語り、その中に働かなければなりません。それは私たちが救いと永遠の命を経験するためです」。その人自身の中に再生と新創造とを生じさせる、神の霊の直接的到来こそが、神にとって唯一価値あるバプテスマである。つまり、人の実際の状態に何らかの相違を生じさせるバプテスマである。バプテスマの真の意義は清める力を受け入れることである。心を清め、良心を照らすのは内なる過程である。それは救いのために必要であるだけでなく、実際のところそれこそが救いなのである。キリスト教のバプテスマは、それゆえ、水をもってするものではなく、キリストをもってするものである。それは命を与えるキリストの霊的臨在の流れの中に魂を浸すことである。

 シュヴェンクフェルトは常に優しくアナバプテストたちに対して好意を寄せていたが、彼は彼らには属さなかった。彼は彼らのキリスト教とは大いに異なる種類のキリスト教を提示した。彼は彼らのキリスト教を、優しい霊の中でではあったが、鋭く批判した。彼は再洗礼を是認しなかった。なぜなら、最も重要な問題は水を適用する方法や時ではなく、キリストの真のバプテスマを受けることである、と彼は主張したからである。それは内なるバプテスマ、霊と力のバプテスマであり、それによって信じる魂、内なる人は浄化され、力づけられ、純化されるのである。


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 教会は、シュヴェンクフェルトの見解によると、キリストがかしらであるこの完全な霊の共同体である。「私たちは断言します」と彼はその務めの初期に記したが、それは生涯変わらぬ彼の見解だった。「クリスチャンの教会は、聖書の語法によると、聖パウロがエペソ書等に記しているように、心と魂でキリストを信じ、私たちの主キリストをかしらとする信者たち全員もしくはその多くから成る集会・会衆です。彼らはただ神の御言葉から生まれ、神の御言葉によって養われ、治められるのです」。「クリスチャンの教会は」と彼は他の箇所で述べている。「神の子らからなる共同体全体です。それはキリストの実際のからだ、アブラハムの裔、生ける神の家、聖霊の宮です。それはその命と力を信仰の従順を通して持ち、この世に対して主の御名と、その肢体たちを暗闇から素晴らしい光の中に召して下さった方の素晴らしさと栄光とを現します。このような教会が集められている所はどこでも、キリストもまたそこにおられます。キリストはそのかしらであり、それを治め、教え、護衛し、保護し、その中に働いてその肢体たちに彼の命を注がれます。各々の肢体に、その生ける信仰の度量にしたがってそうして下さいます。この内なる目に見えないキリストは、あらゆる時代、あらゆる時と土地におられます」。教会の真の命と力は、彼にとってはこのように、使徒的雛型の継続である。党派的宗派の形成に彼は何の興味もなかった。彼は基本的に国教会組織に反対だった。真の教会共同体を束の間の実地的組織――国教であれ分離派であれ――と同一視することはできない。それは霊的な目に見えない世界大の共同体である。それは地上のすべての地域とすべての宗教的交わりの中にいる、命と霊が神聖なかしらに結合されているすべての人々を含んでいる。それは聖霊の計画的指示のもと、有機的成長の過程によって拡張・拡大する。「新しい兵士がこの天の軍隊に加わるたびに」と彼は記している。「哀れな罪人が悔い改めるたびに、キリストのからだは大きくなり、王の威光は増し加わり、その王国は強くなり、彼の力はますます完全になります。神の本質がますます偉大になったり、完全になったりするわけではなく、あのからだが神の中でますます完全になるのです。神は彼の全豊満をもってそのからだの中に住まわれ、その中にイエス・キリストはますます御自身を注がれます」。命を与える御霊の御業を通してこの経験的王国に入る各々の魂は、どの時代にも拡張するこの目に見えない教会の中に建造し込まれ、何らかの「賜物」を与えられてこの神聖なかしらの一器官となる。霊の奉仕はみな、神の明確な召しと委任を通して生じる。そして、そのように召しと委任を受けた人々は奉仕のために適切に備えられる。それは選挙や叙任によってではなく、神の御言葉を通して臨む内なる促しと照らしによってである。その説教者に魔法的力は皆無である。彼の唯一の力は彼の経験、澄んだ視力、キリスト――キリストは教会のかしらであり、その力の源である――との有機的つながりにある。もし彼の生活が霊的に貧しく、弱く、薄っぺらなら、もしそれが道徳的情熱と洞察力に欠けているなら、彼の務めはそれに応じて無力・無益になる。なぜなら、生活の力強い霊的衝撃力は、彼の個人的経験と、神の力を伝える彼の道徳的能力とに比例するからである。ここでもまた、その強調点は宗教の魔法的側面とは対照的である宗教の道徳面にある。教会の職務や機能をその人自身の道徳的性格から切り離すのは不可能である。シュヴェンクフェルトは聖職制度から完全に逃げ去って、彼の限られた歴史的洞察力でその方法が分かる範囲内で、初代の使徒的教会の理想に立ち返った。聖徒たちのこの共同体――この目に見えない教会――に属する真の印・証拠は、彼にとっては聖パウロと同じように、キリストの思い、信仰、忍耐、品位、平安、霊の一つ、神の力、聖霊の中にある喜び、御霊の豊かな賜物と実を有することである。「教理や儀式、規則や礼典といった外側の一つや一様性は、クリスチャンの教会を造り上げることはできません。霊に属する内側の一つ、キリストの中にあるそして彼を知る知識の中にある心と魂と良心に属する内側の一つこそ、キリストの教会を造り上げるのです」。教会は、まさに真の意味で、キリストの骨の骨であり彼の肉の肉である。それは彼の血によって命を賦与され、彼の実際の臨在によって力づけられ、一つの有機体へと形成し込まれる。この有機体は神聖な天の命を啓示・展覧する――この命は生来の人の命を遥かに超越しているが、それは生来の人の命が植物の命を超越しているのと同じである。


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 シュヴェンクフェルトはこれらの見解のどれにも満足しなかった。彼は神秘家たちを知っており愛していたが、史的キリストの力強い生活と使信に大いに感銘を受けていたので、神秘家の道を取ることができなかった。ルターのキリスト教はあまりにもスコラ哲学的で、あまりにも外面に依存し、あまりにも「信仰」の無律法主義的行使に傾いている、と彼は感じた。彼は人道主義的霊性の道を行くことができなかった。なぜなら、彼はこう信じていたからである。すなわち、人は堕落によって荒廃しており、罪によってあまりにも深く損なわれているため自分を助けることができないのである。また、人には自由意志がなく、霊の視覚や救いの信仰のための生来の能力に欠けているのである。そもそも救いが効力を発揮するには、それは神の恵みによって開始され、人のために神によって成就されなければならない。しかしシュヴェンクフェルトにとってそれは法的解決や、天の台帳における勘定の変化ではありえなかった。「義認は」と彼はかつて書き記した。「諸々の罪の赦しだけでなく、それ以上のものです。それは内なる人を実際に癒して新しくするものです」。救いは人の性質の実際的・根本的変容を伴わなければならない――人は罪を犯すことと罪を愛することとをやめて、善に対する情熱とそれを成し遂げることを可能にする力を己を超越した所から受けなければならない。善に対する情熱は、シュヴェンクフェルトの見解によると、神・人を見ることによって創造される。この御方はわれわれのために苦しみを受けて十字架上で死なれ、命の絶対的新しさの中で栄化された。そして、道徳的聖さのための力は、この新しいアダムから直接流れ込む神聖な命の流れによって、魂に供給される。この御方は、今から後、人類の霊的秩序の頭、命を与える霊であり、信仰の中で彼を受け入れるすべての人を新しくされる。「信仰は」と彼は言う。「中心の神聖な光と火――それは神御自身です――から流れ出る一条の貫く光です。それは私たちの心の中に流れ込んで、それによって私たちは神と私たちの隣人に対する愛で燃やされます。またそれによって、自分に欠けているものと私たちの欠け目を豊かに満たせるものとの両方を私たちは目にします。それは、私たちが神の王国のための準備を整えて、神の子供となる用意をすることができるようになるためです」。「真の信仰は」と彼は他の個所で述べている。「すなわち、義とする信仰は、外面的なものから発することはありえません。それは聖霊による神の恵み深い無代価の賜物です。それは神の永遠の命から発したものであり、神御自身の本質・実体と同じです」。それは、事実、われわれ自身の命の内なる領域で音声化・活性化された神の永遠の御言葉なのである。


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 人の魂はどのように救われるのか?という宗教上のこの深遠な中心的問題に対して、シュヴェンクフェルトの時代、四つの有名な答えがあった。

 (1)彼が生まれた教会の答え。救いは恵みによるのであり、神秘的・神的に設立された教会の礼典上の経路を通して仲介される。人の側でなすべきことは、教会に課された「業」を果たすことと、礼典上の恵みの手段を適切に用いることである。これらの礼典上の手段を通して、実際の恵み、実体的な神の助けが人の中に臨んで、その人を救う奇跡をなすのである。

 (2)偉大な神秘家たちの答え。常に明確・単純とは限らないが、とても深遠で意義深い。魂の基盤・深みは、永遠の絶対的神格と一つの実体である。有限な努力、孤立した目的、利己的な目標、分離主義的追求は空しいものであり錯覚である。自己意志の中に、そして自己中心的喜びの中に生きる限り、われわれは自分の命を失う。帰る道、救いの道は、われわれがそこから去ってしまったあの基盤的現実に戻ることである――無限の神格との命の合一・一体性に戻ることである。

 (3)三番目の答えは「救いは信仰による」というルターの答えである。最初、これは強力な答えのように思われる。それは魂に対する新たな道徳的招集ラッパのように、この逸れた世に介入する。宗教の世界に新たな中心の発見をもたらす新鮮なコペルニクス的洞察のように人々に臨む。魂はそれ自身の内的視力により、その道徳的姿勢により、意志の転向により、神との新たな関係を開始することができる。そうして新たな内的王国を生み出すことができる。しかし、これはルターの使信ではない。彼はこの楽観的な生命観を取ることができなかった。なぜなら、人は自分自身の内に神に対する生来の能力を持っており、向上して自己の道徳的刷新につながる視力と姿勢に至ることができる、ということをこれは意味したからである。ルターは自分の原理をスコラ哲学的煩雑さから解放することに決して成功しなかった。彼は強力な道徳的基盤の上にそれを決して据えなかった。それは最後まで神秘的原理のままであり、容易に無律法主義的解釈への門戸を開いた。すなわち、信仰の行使に基づいて神はキリストの功績のゆえに「人を義と勘定して下さる」という解釈である――心がたるんでいて救いの法的枠組みになびきやすい人々には大切な解釈である。

 (4)四番目の見解は人道主義的・霊的改革者たち、デンクやビンダーリンといったタイプの人々の見解である。彼らは、今日のいわゆる救いの道徳的方法の先駆者だった。救いは最初から最後まで道徳的過程であると彼らは見なした。神は本質的・本性的に、愛して、自己を啓示し、自己を与える神である。神はどの時代でも、人の霊的身の丈に適した啓示によって御自身を啓示してこられたのであり、時満ちて、キリストにあって受肉された。そして永遠に、その御霊を通して、御自身のもとに来るよう人々に懇願される。目が見えて耳の聞こえる者たち、応答して協力する者たち、すなわち、信仰を行使する者たちは、それによって彼の内的似姿に道徳的に変容され、暗闇よりも光を、罪よりも善を、憎しみよりも愛を好む生活を始める。


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 救いの過程と、再生された魂を照らす永続的照らし――それは流入する実際的な神的実体(御言葉もしくは種と称されている)による――とに関するシュヴェンクフェルトの見解が、彼のキリスト教の原動力たる特徴である。ルターの「信仰による義認」の原理を取り巻く諸々の危険を防ぐ、宗教活動のための一つの基礎を彼は見い出そうと努めた。宗教改革運動が始まった時から、「信仰」の行使だけが人の救いに必要であると見なす傾向があるように見えた。ルターはそういう意味で言ったのではなかったが、「信仰」は不可視の領域で魔法のような働きをすると考えることが最も抵抗の少ない安易な道だった。人が「信仰」を行使するやいなや、神はその「信仰」を義と勘定して、その人を「義」と見なされる、というのである。こうして、この肝心な働きは魂の外側の領域にあるものとされた。この重大な変化は各人の性格上のものではなく、各人が天の評価によって鑑定・査定される方法上のものとされた。「信仰」に対するこの粗野なまじない的信頼が広まっているのを見い出したことが、シュヴェンクフェルトを宗教の諸問題に関するさらに深い学びに向かわせた最初のきっかけだった。まじないのような取引で義と鑑定・勘定されるだけではなく、人自身が実際に刷新、変容、再創造、義化されうる何らかの方法を発見することが必要である、と彼は感じた――これにより彼は一人の独立した宗教改革者となって、その孤独な道を歩んだのだった。


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