その後、イエスは(ご自分が癒した人を)宮で見つけて言われた、「見よ、あなたはよくなりました。罪を犯すのをやめなさい。さもないと、さらに悪いことがあなたに起きるかもしれないから」。(ヨハネ五・一四)


 苦しんでいる人は誰でも、癒されることを願う。しかし、私たちのうちどれくらいの人が、新しい命を望んでいるだろうか?自分の人間的必要のせいで、救い主に対して盲目になるようなことがあってはならない。それらの必要のせいで、神がキリストにあって与えて下さるこの偉大な新しい現実に対して、盲目になるようなことがあってはならない。

 もちろん、自分の諸問題のために救い主に向かうよう駆り立てられるのは、自然なことである。特に、他の方策がすべて尽きてしまった時には。それでも、私たちの中の誰が、自分の罪のために救い主に駆けつけるだろうか?これによって、私たちはへりくだるべきである。まさに最初から神が意図しておられるのは、私たちに自分の痛みではなく罪を嫌悪させることである。新しい世界に入ること、いま私たちを包み込んでいる重い罪の外套から自由になることを、私たちは願うべきである。

 この偉大なる医者は、私たちの単なる健康のためではなく、私たちの信仰のために戦って下さる。あなたはこれを理解しているだろうか?神は私たちの間で数々の奇跡を行っておられる。それは、私たちが再び生まれるためであり、一人や二人の人のためではなく、多くの人のためである。奇跡は――強烈な表現を私は使いたくなるのだが――救い主にとって苦痛に満ちたわざなのである。なぜなら、もし奇跡がこの地上生涯で私たちをいっそう幸せにするだけなら、何も獲得されたことにはならないからである。

 これについて、私たちはもっと深く考えなければならない。恐るべき死と酷い悪の重荷をどれほど私たちが負っているのかを考えよ――これはみな罪のせいである。なのに依然として、自分の必要の根本に自分の力を注ぐことに、私たちは失敗しているのである。そのかわりに、私たちは人間生活の苦悩の表層から、最も手っ取り早い苦しみを取り出して、それを救い主のもとに持ち出しているのである。「この問題で私を助けて下さい。そうすれば、私はまた幸せになれます」。そんなことが助けになるとでもいうのだろうか!そんなことが私たちの人間性を変えることができるとでもいうのだろうか!たとえ今日、救い主が数十万の人を癒されたとしても、それは人類にとって真の助けになるのだろうか?十年、二十年、三十年もすれば、そのようなことはまたすっかり忘れられて、すべて元の木阿弥になってしまうだろう。外側の癒しだけでは、私たちの助けにならない――神の力は、もっとずっと深いところまで届くのである。

 ああ、私たちの目が開かれさえするなら!イエスと一緒に、その御名を通して、この世界の悲惨さをすべて克服することは可能であることを、見ることさえできれば!ああ、イエスにあって、この罪の世に対して偉大な勝利が勝ち取られるのを、見ることができますように!自分の罪の悲惨さを前にして自分の必要を忘れ、信仰の目をもって、私たちを――そして全世界を――赦して、あらゆる悪から解放して下さる御方に信頼することさえできれば。

クリストフ・フリードリヒ・ブルームハルト


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