私の命を守って下さい。私はあなたに忠信な者だからです。あなたに信頼するあなたの僕を救って下さい。あなたは私の神です。(詩篇八六・二)


 ダビデは大いなる必要をかかえて神に叫ぶ。何度も何度も、私たちは神に叫んでいる自分に気づく。問題は絶望的なまでに錯綜するおそれがあり、私たちは諦めてしまう誘惑にかられる。「神は助けるすべをご存じないのだ」と、なんと私たちはすぐに思ってしまうことか。このようなことが起きる時、すべては失われ、もはや祈りたくなくなる。こうして、絶望に屈してしまう。しかし、不可能に思われることでも神にはできる、と信じて信頼することに、すべてがかかっているのである。

 ダビデは神に信頼した。彼は自分を「主の僕」とみなした――彼にはこの御方に仕える用意があった。これはこの御方の御旨であり、この御方はこれを成し遂げることができる。ダビデは僕だったので、これは彼の責任ではなかった。彼はひたすら叫んだ、「どうすればいいのかわかりません。私の知恵は尽きました。しかし、おお、主よ、あなたはこれにどう対処すればいいのかご存じです!」。

 私たちはめったにこのように行動しない。自分が自分の主人となることを望んでいる。何でも自分自身で、自分の好きなようにやりたいのである。支配することを望んでいて、物事が思うように行かないと、怒って、辛辣になる。すべてを神に、神の憐れみと力に明け渡すことに失敗しているせいで、すべてが滅茶苦茶になり、私たちは破滅してしまう。まるで、じっとしていて、「おお、私の神よ、どうか助けて下さい」と謙遜に祈るよりはむしろ、壁に自分の頭を打ちつけた方がましだと思っているかのようである。

 ダビデは王として神の足下にひれ伏した。ダビデは僕として、「自分にできないことを神は成し遂げて下さる」と神に完全に信頼した。神には何でもできること、そして、神は私たちの祈りを聞いて下さり、その祈りを顧みて下さることを、ダビデは知っていた。これこそ、私たちが信仰によってしっかりと握ることを願っているものである。なぜなら、もしダビデのように、「主を避け所とする人はみな、幸いです」(詩篇二・一二)と叫ぶことができるなら、確かに主の助けを受けるからである。

ヨハン・クリストフ・ブルームハルト


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