キリストも、ひとたび罪のゆえに死なれました。あなたたちを神にもたらすために、義なる方が不義な者のために死なれたのです。彼は体においては死に渡されましたが、霊においては生かされました。生かされた後、彼は獄に捕らわれている霊どものところに行き、宣べ伝えられました。(中略)死者にさえ福音が宣べ伝えられたのは、これが理由です。すなわち、彼らは体においては人の基準にしたがって裁きを受けるが、霊においては神にしたがって生きるようになるためです。(一ペテロ三・一八~一九、四・六)


 死後、イエスは地獄に下って行かれた。なぜなら、地獄でもご自分に耳を傾けることを欲する人々を彼は得なければならないからである。彼はまた、ご自分に耳を傾けることを欲する人々を、あらゆる病、あらゆる暗闇の中にも得なければならない。それゆえ、癒しや解放を受けられないものは何もなく、諦めるべき理由も何もない。

 あなたが救い主を自分の状況の中に招き入れるとき、その状況がいかに困難で厄介なものでも、あなたの内に、またあなたを通して、贖いが現実のものとなる。「主よ、私をあなたの御手の中におさめて下さい。あなたの統治の下にいさせて下さい」と祈ることの方が、苦難に遭わずに生きることよりも、遥かに重要である。このような姿勢を持つ人は誰でも、神の王国の中で実際に役に立つことができる。

 あなたが神の王国だけを心に留めて、喜んでイエスの重荷にあずかるとき、あなたの苦難は空しいものではない。それゆえ、道を開いて、あなたの存在そのものの中に、あなたの苦難の中に、イエスを招き入れて、そこで彼に仕えよ。この戦いの中に完全に飛び込まなければならない。しかし、その時、救い主が来て下さるのである。中途半端な手段をすべて捨てて、自分の偽りの神、偽りの助け、偽りの希望、偽りの喜びを、すべて根こそぎにしなければならない。唯一の希望、唯一の喜び、唯一の信仰、唯一の愛――これは天におられる私たちの父である。私たちは父と共にいたいのである。

 幾ばくかの信仰と幾ばくかの絶望、幾ばくかの喜びと幾ばくかの悲しみを取って――それを一緒にして綺麗な花束にできると思ってはならない。そんなことには真心が籠もっていない。神が望んでおられるのは、真心からの「ハレルヤ!」である。私たちは、苦難の中に体も魂も飛び込んで、苦難が神の誉れと栄光になるようにしなければならない。

 自分が神の子供であることを覚えよ。自分自身と自分に与えられたものに誠実であれ。この希望にすがるなら、たとえ極めて大きな不幸や暗闇の中でも、たとえ死の中でも、あなたは力、慰め、決定的勝利を受けるであろう。

クリストフ・フリードリヒ・ブルームハルト


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