神の御言葉によって支えられる

 それだけではありません。主イエスは、後で使徒たちによって解き明かされなければならないことを語られました。その解き明かしは聖霊が来臨される時になされるべきものでした。彼は言われました、「人はパンのみによって生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉によって生きます」(マタイ四・四)。人の存在が今話している神の御言葉のおかげであるだけでなく、人の生存もこの同じものに基づきます。この分与された霊の命を維持して、全行程にわたってそれを支えるのは、神の御言葉によります。そして、それは聖書を読む以上のことです。もう一度尋ねさせて下さい。私たちは大いに正直になろうではありませんか(正直になる余地がありますし、その必要もあります。誤解されかねないことを私は承知しています。しかし、核心に迫って、人々を欺きや誤った立場から救うために、私は危険を冒すことにします。ここで正直さが必要になるのです)――あなたは聖書を読むことによって、自分の霊の命が支えられ、養われ、建て上げられるのを、絶えず常に経験しておられるでしょうか?聖書を学ぶことによって、自分が霊的に前進して成長するのを、あなたは常に経験しているでしょうか?大学は法律や哲学の博士をつくることはできますが、真の意味で、神の御言葉の博士をつくることはできません。ただ聖霊だけがつくることができるのです。なぜなら、それは霊的な事柄だからです。正直にこの事実に向き合わなければなりません。聖書はあらゆる本の中で最も偉大な本であり、神が与えて下さった本ですが、本としての聖書を読むことと、神が聖書を通して到来されることとの間には、ある違いがあります。聖書を通して神が到来される時、私たちはこう言わざるをえません、「ああ、これまで何回もこの節を読んで来ましたが、このようなものをその中に見たことは決してありませんでした!神は今、この御言葉によって私に語って下さいました。この御言葉は幼少の時から知っていましたし、私にとって最も馴染み深い聖書の句でした。神はこの御言葉を通して、かつてない方法で、今語って下さったのです!」。これが私の言わんとしていることです。神の御言葉が背後にあるおかげで、私たちの命はまさに支えられているのです。その意味は、神からの何かが彼方から到来しつつある、ということです(彼方と言っても、様々な経路や方法を通して来ることもあります)。何か特別なもの、何かさらに優れているものが、背後から、彼方から到来して、私たちに届いているのです。この問題について結論を下す時、「自分は聖書に関する何か新たな理解に達したのではなく、この御言葉という手段によって、主を知る新たな知識に達したのです」と私たちは言わざるをえません。書き記された御言葉と共に働いてそれを主の化身とする、神の主権のようなものが存在するのです。


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