私たちはこれまでキリストの偉大さについて考え、数章を費やしてその偉大さについて黙想してきました。次に、十字架――キリストの死と復活の及ぶ範囲とその内容――の偉大さを見ました。教会の偉大さを熟考するにあたり、教会が偉大なのは教会がこの他の二つの偉大な項目にあずかっているからであることがわかります。つまり、教会の偉大さとはキリストの偉大さであり、その十字架の偉大さなのです。この二つの偉大な項目が教会の真の性格を決めているのです。私たちはソロモンという予型を扱ってきました。この予型の描写は荘厳かつ壮大で、あふれるほど豊かです――ソロモンは予型としてキリストを示していますが、これは「ソロモンよりも偉大な者がここにいます」(マタイ十二・四十二)という主ご自身の御言葉を思い起こさせます。しかし、私たちは次のことも思い起こす必要があります。すなわち、ソロモンが前に進み出て注目されるようになったのは、神の家と関係していたのです。神の家こそまさにソロモンに脚光をあてたものであり、ソロモンの威光の原因であり根拠だったのです。「家を建てなければならない」とダビデは心に思っていましたが、それは神の御思いでした。「あなたの心にこの事があったのは結構なことです」(列王記上八・十八)。ダビデの心の思いは主からでした。それゆえ、主はダビデにこの家に関する完全で完璧な啓示を任されたのです。ダビデは注目すべき言葉を述べました、「主の手によって書かれたものにより、私はこれをことごとく理解するようにされました」(歴代誌上二十八・十九)。これを説明するのは不可能です!ソロモンが登場したのは明らかに神の御旨によるものであり、神が植え付けて解き明かされた御思いから発したことだったのです。ソロモンこそ、それを成就するために委ねられた者でした。主の御旨によると、ソロモンの栄光は主の家の栄光と関係しており、その偉大さは主の家の偉大さと関係していました。言い換えると、ソロモンが建てることになっていたこの家は、ソロモン自身の栄光と光輝を現し出すことになっていたのです。ソロモンが集めたもの、主があらゆる方法でお与えになったものは、ソロモンが建てることになっていたこの家の中に組み込まれて、主としてその家によって表示され展覧されることになっていました。


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