聖書朗読:歴代誌上二十八・二~七、十一~十三、十九:二十九・三~五:歴代誌下二・一、二:エペソ一・四~六、十一、十二、十七~二十三:二・七、十九~二十二:三・十、十一、二十、二十一:四・一、四、五、十三~十五:五・二十五~二十七

 神聖な啓示の偉大な項目の三番目に来ることにします――それは教会の偉大さです。残念なことに、神の民のほとんどはその偉大さを見ていません。クリスチャンたちは自分の救いの偉大な御旨や意図を理解するのも、また自分の高い召しを知って理解するのも、痛ましいほどに遅いのです。そして、これに関連して、神の民の間に大きな分裂が生じています。キリスト教はせいぜいありきたりのものになってしまいました。救われて、クリスチャンとして普通の歩みをする問題になってしまい、次のことを認識せずにいます。すなわち、神の御心によると、私たちの救いには偉大な御旨があったのです。この偉大な御旨は、まず自分が救われて、次に他の人々を救いにもたらす働きに取り組むことだけではありませんし、それで終わるものでもありません。そのどちらも良いことです。どちらも基本的で本質的なことですが、始まりにすぎません。そこからまったく異なる何かが始まるのです――それについてパウロはこう言及して述べています、「あなたたちにお願いします。あなたたちが召された召しにふさわしく歩んで下さい」。「あなたたちが召された召し」というこの句の周辺に、パウロは教会に関する途方もない項目をすべてまとめています。教会は、その過去の面については、遥か世々の昔にまで遡ります。その上側の面については――「天上にある」ものであって、今や天的な使命を帯びています。次にその将来の面については――「来るべき世々」に至ります。これらの御言葉は、私たちが召された召しについて示していますが、私たちの間でこれを真に理解している人は何と少ないのでしょう!この幻と神聖な啓示とを喪失してしまった悲劇について、私たちは長々と述べることもできます。群衆が今この召しにあずかるのをほとんど不可能にするような邪魔物が建て上げられており、それが伝統や組織によって群衆の手足を縛っています。この伝統や組織は責任者たちの自由を奪ってあまりにも束縛するものです。彼らの生計がそれにかかっているからです。そのため、彼らは神の完全な御思いの中に入ることができないのです。私たちはこの道を追うつもりはありません。むしろ神の御思いのこの積極面にとどまって、教会の偉大さというこの問題に迫るよう努めた方がいいでしょう――なぜなら、消極面はこれに優るものではないからです。


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