原則として、この同じ調べはすべての書簡に見られます。古い天然の命に属する何かが道を邪魔し、制限し、損ない、すべてを矛盾した状態にもたらしていたのです。それが何であれ、それはみな十字架にもたらされなければなりません。

 あなたも私も、天然の存在は十字架の力の下に渡されなければなりません。十字架は私たちを道からどけなければなりません。それはキリストがすべてを満たすことができるようになるためです。これがこの箇所の意味です。この祭壇、この大きな祭壇がソロモンによって設けられたこと、神の満足のための大いなる包括的な一つの供え物が予型として献げられたこと、次に王が王座に着いてこの祝福された結果がことごとく続いたことがわかります。

 親愛なる友よ、私たちが道を邪魔しているのであり、私たちこそ私たち自身の災厄であり制約なのです。この天然の命こそ、苦しみの真の原因です――しかし、力強い十字架があります。私たちは依然として言うことができます、「私はキリストと共に十字架に付けらました」と。この意義にあずかることはなおも可能です。自己の命、自己の力、自己中心性を根本的に砕いてもらうこと、私たちの天然の命の屋台骨――私たちの宗教的な天然の命、献身的な天然の命、あるいは天然の命であるものすべて――を実際に砕いてもらうことはなおも可能です。その時、天然の命の力は去り、王のための場所ができて、王がすべてを満たせるようになります。その実際の働きにあずかった経験から、とはいっても私たちの霊的経歴は微々たるものにすぎませんが、私たちは次のことを知っています。どこかの時点でこの霊的生活が対処され、引きずり降ろされ、砕かれない限り、霊的安息、霊的成長、霊的豊かさの生活に入ることはできないのです。十字架がそれを支配しています。十字架こそ御座に至るものだからです――祭壇から御座へ、御座からキリストの栄光に至るのです。

 どうか主ご自身がこの御言葉を適用して下さり、この御言葉を通して語って下さいますように。そしてその結果、主が完全な地位、絶対的な地位を得て、私たちが御座におられるキリストのあらゆる祝福にあずかることができますように。


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