キリストが王座に着いた結果

(a) 神の民に安息が訪れる

 さて、ソロモンを見るなら、そしてソロモンが王としてエホバの位の地位に着くのを見るなら、またその結果、結末、影響を見るなら、いくつかのことが極めて単純に示されていることがわかります。一つは、イスラエルが素晴らしい安息の時を迎えたことです。ソロモンは王としてエホバの位に座し、イスラエルは周囲の至る所で安息を得ました(列王記上四・二十四~二十五)。

 もちろん(余談として述べると)、これらの点はみなそのほとんどが将来の時代と関係していることを私たちは覚えています。しかし、聖書には常に二重の面があります。経綸上の面と霊的な面です。ペンテコステの日に起きたことについてはすでに指摘しました。しかし教会はペンテコステの日以降、外面的な地的方法で安息を得たわけではありませんでした。外面的には安息どころではありませんでした――しかし、素晴らしい安息が教会の中に訪れたのです。その時から、使徒たちにもどのような変化があったのか、見落とすことはありえません。素晴らしい保証、素晴らしい確信、素晴らしい勇気と大胆さ、素晴らしい証しの効力があったのです。これはみな、彼らが安息に、内なる安息に入ったためでした。その安息はキリストが主であることを知ったことによって生じたものでした。「何があろうと、キリストは主です!」が彼らのメッセージであり、彼らの姿勢でした。「支配者たちや民が何をしようと、キリストは主です!状況がどうなろうと、良くなろうと悪くなろうと、キリストは主です!」。そして、彼らがそう証言した時、それは効力を発揮したのです。まさに彼らに敵対する状況が、それを証明する結果になったのです。サタンではなく、人ではなく、環境ではなく、軍隊ではなく、キリストが主だったのです!そこには深く静かな自信、確信、安息がありました。

 私たちは多くのささやかな経験から、また神の御旨に対する口論という大きな危機により、次のことを知っています。すなわち、私たちが神の絶対的主権に服する時だけ、私たちの意志、願い、嗜好、好みが神に従って服従し――いやいやではなく、無理矢理でもなく、喜んで、自ら進んで、積極的に――神の主権に服する時だけ、素晴らしい安息が私たちの心の中に訪れるのです。安息が訪れない限り、栄光はありえません。この宮を支配しているのはこの「安息」という言葉です。「ああ、エホバなる神よ、あなたとあなたの力の箱が立ち上がって、あなたの安息所にお入り下さい」(歴代誌下六・四十一)。「あなたの宮であなたの安息にお入り下さい」。この宮に安息が訪れない限り、いかなる栄光もありません。人々は箱を運び入れ、さおを引き抜き――さおが常に示していたのは動き、進展、休みのない道行きでした――そして言いました、「ここが目的地です。私たちは旅の終点に達しました」。そして、主の栄光が宮に満ちたのです。

 これはみな信仰の安息の絵図です。信仰の安息についてヘブル人への手紙は大いに述べています。キリストは王としてまた大祭司として御座に着いておられることを心で真に理解することにより、この信仰の安息が生じるのです。

 一つ一つの面にあまり時間を費やすわけにはいきません。ソロモンの昇進から生じた一つ目の結果は、神の民に安息が訪れたことでした。


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