キリストは何をなさったのでしょう?死に至らせるものや、死が包含しているものを、すべて取り除かれたのです。死は万物の上に制約を課すものであり、天と地との間に割り込んで来て、人を束縛し、人の成長を強固に阻んで、虚無に至らせるものです――死は人のあらゆる奮闘や努力を虚無に至らせるものです。キリストはこの死を対処し、それを道から除いて、人に対する神の御旨がすべて力強く成就されることを可能にしました。キリストは死の行程を逆転させて、人が成熟に達する邪魔者である死を取り除かれました。そして復活により、命と不朽――不朽性――を明らかにされたのです。

 ですから、復活後にキリストが行われた最初のことの一つは、聖書をひもといて、聖書全巻に記されているご自身について示すことでした。キリストはモーセの書からはじめて、当時の聖書の最初から最後に至るまで解き明かされました。聖書全巻――これは何を示しているのでしょう?それは歴史です。聖書は常に神を見据えつつ人の歴史を示します。そして、人の歴史は神の御思いに関する限り、失敗の歴史です。しかし今、復活により、キリストは失敗と無力さに満ちたこの全歴史をひもといて、「この失敗、この無力さは永遠に続くわけではありません。それは必然的なものではありませんし、最終的なものでもありません。私がここにいるのです!」と訴え続けてきたものが一貫して現存していたことを示すことができます。ラザロのよみがえりの記録から、主がどのようにこの特別な真理を用いられたのかわかります。「あなたの兄弟はよみがえります」。「はい」とマルタは言いました。「終わりの日に彼がよみがえって復活することは存じております」。主はさえぎって言われました、「終わりの日ではありません!私がいるからには、終わりの日は今なのです。時は過ぎ去り、昨日も今日も明日もありません」――「私は復活であり命です」。「私がここにいるからには(When I am here)、時は完全に包囲・網羅されて追いやられているのです」。「私はある(I am)」――前にこの言葉を聞きました!この永遠なる御方は復活であり命です。なぜなら、永遠が到来する時、時間は退散するからです。聖書はすべて、この御方を示しているので、「確かに、地上の歴史は今ある通りのものかもしれません。しかし、私がここにいます。最後には、この歴史は一変するでしょう」という内容が含まれているのです。これはキリストが復活の日に言われたのと同じことです、「私は生きています。私は全聖書を成就しました。私は全聖書、神に関わる人の全歴史を集約して、それを成就しました。私は神の御旨をすべて実現し、歴史からは不可能と思われたことをすべて実現したのです」。


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