復活したキリストはあらゆる制約を一掃する

 しかし、私たちはこれに取りかからなければなりません!聖書の中には、旧約と新約のどちらにも、死者の中から甦った他の人々がいます。ラザロは顕著な例です。しかし、たいして議論するまでもなくわかることですが、復活後のラザロと復活後のキリストとの間にはとても大きな違いがあります。ラザロは死者の中からよみがえりましたが、依然として同じ人のままでした。ラザロに何らかの変化があったことを示すものは何もありません。ラザロは前と同じまま戻って来ました。ラザロの復活は神聖な意味における復活ではなく、甦生だったのです。復活と甦生との間には大きな違いがあります。主イエスの場合、これについて独特な点があります。キリストの独特さはその性質にあります。復活後、キリストはその性質を帯びておられたのです。多くの違いがありました。その違いはあまりにも現実的だったため、キリストと最も親密な関係にあった人々、最も親密にキリストと同行していた人々でさえ、神からの特別な力づけがない限り、キリストを見分けることができなかったことがわかります。キリストが彼らを受け入れたのは、昔の理由に基づいてではありませんでした。キリストは昔の愛情に満ちた人間的抱擁や接触をまったく許可されませんでした――「私に触れてはいけません」(ヨハネ二十・十七)――なぜなら、抱擁や接触は天然的生活の古い水準にある仕草だったからです。他方、キリストはご自分に触れることを許されましたが、それは信仰による接触でなければなりませんでした。キリストは「私に触ってみなさい」と疑いを持つ者を招かれました――「あなたの手を伸ばして、私の脇に入れなさい」(ヨハネ二十・二十七、アメリカ標準訳)――しかしこれは疑いと不信仰に打ち勝ちなさいという信仰への招きだったのです。これはそれまでとは異なる種類の関係でした。というのは、キリストはある領域の外に出て行って、別の領域の中に入られたからです。今や、昔の制約や束縛はもはやありません。空間はなくなり、時間もなくなりました。キリストは姿を消されますが離れることはありません。そこにおられるのであって、やって来るのではありません。今や、新たな力、新たな能力、新たな才能があります。すべてが別の領域にあるのですが、それでも大いに現実的です。キリストはその現実を強化しておられます。なぜなら、信者たちは二つの世界の間にあるからです――昔の世界と今の世界です――信者たちはその違いを学ばなければなりません。それはまったく新しい種類の命と新しい体制についての啓示です。あの世の目に見えない世界に対する好奇心に、主はつけ込もうとしておられるのではありません。霊的現実を強烈に印象づけようとしておられるのであって、それこそ主が痛感させようとしておられることなのです。復活したキリストを見て、復活の側にあるこの人の性質を理解するとき、私たちは人が造られた目的をキリストの内に見るようになりますし、キリストが人に対する神の御思いの化身であることを見るようになります――キリストは私たちが経験する生活上の諸々の制約のまったく外側にあってそれを超越しており、空間や時間の支配の外側にあって、私たちがほとんど知らない力や、私たちがみな望んではいるものの朧気にしかわかっていない能力を持っておられるのです。


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