子たる身分に関する神の永遠の御思いはキリストによって確保された

 これまで御子の永遠性について、また私たちは御子の永遠の命にあずかることについて述べて来ました。これは実際のところ何を意味するのでしょう?それは永続する、始まりも終わりもないものという思想を、私たちの思いに伝えるだけでしょうか?それでは曖昧で、ほとんど助けになりません。啓示として私たちに示されていることの実際の実行的な意義および価値は何でしょう?それが意味するのは次の通りです。すなわち、子たる身分という思想、概念は、私たちが造られる前から神の御心の中にあったものであり、それは被造物に伝達されるべきものだった、ということです。それは時間の前にまで遡ります。私たちにとって、時間とはこの物質的世界体制を意味するものにすぎません。時間の始まりとは私たちにとって、神が物質界を創造し、天体をあるべき場所に置いて、年、月、日、季節等をつかさどらせた時のことです。これが私たちにとっての時であり、それゆえそれは物質的被造物に属しています。しかし、時の前に遡るなら、時間の外側にある神の御思いに至ります。何なら、それを永久、永遠と呼んでも構いません。神の御思いは時間の外側にあり、時間の前にまで遡って、時間にある性格を帯びさせ、被造物にある性質を帯びさせます。神が創造しようとしておられたものは、神の御旨によれば、神の御心にしたがってこの性格を帯びるべきものでしたし、したがって、その性質だけでなくその概念や観念においても、神の永久の御思いと関係したものになるべきものでした。今や、キリストこそこれなのです。

 しかし、再び言いますが、今、それは私たちにとってどのような実際的意義があるのでしょう?その意義とは次の通りです。すなわち、キリストは時間の前の神の永遠の御思いを成就されたのです。そして、キリストは立って、造られた万物を治めておられ、時間が神の御思いを損なわないように見守っておられるのです。時間の中に到来するものが何であれ、最終的にこれを駄目にすることはできません。なぜなら、神の御思いは永遠であって、常に立って治め続けるからです。最終的に、物事は神の永久性により当初の御旨に立ち返ることになります。被造物は時間がたてばたつほどますます神の御思いから遠ざかって行き、その軌道からまったく外れてしまうかもしれませんが、時間はやがて終わります。結局のところ、時間には神の御思いを駄目にする力はありません。キリストにあって、時の前から神の御思いは確保されていたのであり、最終的に成就されることになります。被造物は神の永久の御思いに立ち返るでしょう。そして、かつて時間の中に到来したいかなるものにも最終的には神の御思いを変える力はなかったことが示されるでしょう。これは途方もないことです――そしてこれこそ子たる身分の実際的意義なのです。子たる身分は永遠の思想であり、最終的に被造物は子たる身分に到達します。最終的に、被造物や人々は子たる身分を体現するようになります。これが神が常に御心に留めて来られたことであり、決意してこられたことなのです。


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