キリストの食物

(a)御民の満足

 この食物の問題――ソロモンが用意した一日当たりの食料――に触れることにします。キリストの満ち満ちた豊かさを認識し、意識し、理解して毎日生活すること――このような生活に神の栄光が宿ります。これは事実を述べたものであるだけでなく、神の御思い・御旨でもあります。神によって定められた地位にキリストが着く地点に真に到達した人たちは――個人的に到達しただけでなく、他の信者たちとの関わりにおいても到達した人たちは――自分たちが霊的制約から解放されたことが、とてもよくわかります。多くのもの、富、豊かさ、開かれた天があって、主は制限されていません。主は与えに与えて下さいます。キリストに属するこれらのものはみな一つながりであって、実際のところ切り離すことはできません。キリストの富を知るには、大いなる十字架が必要です。キリストの富を表すには、大いなる教会が必要です。しかし、十字架が客観的にも主観的にも十分な地位を得るなら、天が開かれます。ヨルダン川の出来事が成就され、神の愛する方の上に天が開かれます。この御方は大いなるエデデアであり、「主に愛される者」です。そして、「わが愛する者・・・」(マタイ三・十七)という証しがなされます。「神は愛する方にあって私たちを受け入れて下さいました」(エペソ一・六)。これはみな一つながりです。ヨルダン川、十字架が大いに必要です。しかし、それさえあるなら、あなたに対する主の御思い、すべての人に対する主の御思いは、あなたが豊かな地で暮らすことなのです。霊的必要を満たすために奮闘する必要はありませんし、次の食物はどこから来るのかと心配する必要もありません。主が私たちに教えて下さるように、私たちは主の供給に信頼することができます。これは素晴らしいことです!万事休すのように思われることがたびたびあるかもしれませんが、それは私たちを教えるための主の方法なのです。つまり、それは新たな始まりであって、まだまだ備えがあることを、主は私たちに教えて下さるのです。これは単なるお題目ではなく、事実です。あなたがこれをどれくらい本当に知っておられるのか、私にはわかりません。相当奉仕してきた人たちなら、これについて確かに何かしら知っています。何もなくなってしまったように思われるのですが、その次に新たな要求と新たな豊かさが到来して、進み続けるのです。主は教会の中でこのようにされます。ああ、霊的飢饉!行き巡ってこう言う人々がいます、「霊的食物がまったく見つかりません。食肉がなくて、何もかも貧相です!」と。ああ、これは主にとってどれほど不名誉なことであり、どれほど主の御心に反していることでしょう!これはどれほどキリストを無きに等しい者とすることでしょう!それは何とちっぽけなキリストを意味することでしょう!いいえ!神が栄光をお受けになるのは、イスラエルがソロモンの富を経験したのと同じように、神の民がキリストの豊かさを経験する時なのです。

 食物の目的は、民が満足することです。ソロモンの食物はこの満足のためでした。ソロモン自身の満足のためだけでなく、ソロモンに頼っていた人々の満足のためでもあったのです。そして、キリストのこの富、キリストのこの豊かさ、キリストにあるこの食物は、第一に、私たちを満足した民とするためです。私の推測ですが、ソロモンの栄光の時代、その土地を行き来するなら、民が大いに満足している光景を目にしたでしょう。神が栄光をお受けになるのは、神ご自身と御子に満足している民を神が獲得される時です。これは私たちに当てはまるでしょうか?もし当てはまらないなら、何かが間違っています。これが成就しない限り、私たちには何の証しも課題もありません。何の力も権威もありません。人々がクリスチャンである私たちの顔を見る時、何を見るでしょう?飢えでしょうか?それとも、満足している民でしょうか?私たちが人々に語りかけるとき、教理や聖書から語っているのでしょうか?それとも、自分の心で感じたことや経験から語っているのでしょうか?親愛なる友よ、神の御言葉は私たちに次の問いを突き付けます。あなたは自分の心の奥深くで主に満足しておられるでしょうか?あなたは満足しておられるでしょうか?主はあなたの欲するすべて、それ以上の御方でしょうか?これは単純な問いですが、試金石です。神の栄光は私たちが満足を得ることと関係しているのです。

(b)御民を成熟させるため

 第二に、食物は成長して成熟に至るためです。あなたは成長しておられるでしょうか?成長の証拠は次の通りです。すなわち、あなたに対するこの豊かさは何か尽きることのないものであり、現在の差し迫った必要を超えたものなのです。この豊かさにあなたはここで出くわしますが、それを遥かに超えた何かがあることをあなたは理解します。あなたがその中に入った領域では、あなたは他の畑に行って落ち穂拾いをする必要はありません。なぜなら、あなたは欲しいものをすべてここに持っており、それを自分のものとして、それによって成長しているからです。これが当てはまるでしょうか?成長している民は、神に栄光を帰す民です。なぜなら、彼らはキリストにあるひとりの人の全豊満と身の丈に到達するからです。


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