恵みとは何か?

 「ところが、私たちの救い主なる神の慈悲と愛とが現れた時(中略)そのあわれみにしたがって私たちを救って下さったのである」(テトス三・四~五)。「それは、来たるべき代々の時代に、キリスト・イエスを通して私たちに向けられている慈愛の中で、その恵みの卓越した富を示すためであった」(エペソ二・七)。

 「しかし、私たちがまだ罪人であった時、私たちのためにキリストが死んで下さったことにより、神は私たちに対する愛を示されたのである」(ローマ五・八)。

神の恵みの目的とは何か?

 「なぜなら、恵みにより、信仰を通して、あなたたちは救われたからである。これはあなたたちからでたものではなく、神の賜物である。働きによるのではない。誰も誇ることがないためである」(エペソ二・八~九)。

 「なぜなら、すべての人に救いをもたらす神の恵みが現れたからである。そして、不敬虔とこの世の情欲とを捨てて、慎み深く、正しく、敬虔にこの今の世で生活し、祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神と私たちの救い主イエス・キリストの栄光の出現を待ち望むようにと、教えている」(テトス三・七)。

 「無代価で、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いによって義とされるのである」(ローマ三・二十四)。

 「私たちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みの中に信仰によって入り」(ローマ五・二)。

 「いま私は、兄弟たちよ、神とその恵みの御言葉とに、あなたたちを委ねる。御言葉はあなたたちを建て上げて、聖別されたすべての人々の間で、あなたたちに嗣業を与えることができる」(使徒二十・三十二)。

 「その愛する御子によって私たちを受け入れて下さった、その恵みの栄光の賛美へと至るためである。私たちは御子にあって、神の恵みの富にしたがって、その血による贖い、すなわち、罪の赦しを受けたのである」(エペソ一・六~七)。

 「ですから、私たちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、大胆に恵みの座に近づこうではないか」(ヘブル四・十六)。

 なんと完璧で、すべてを包括していることか!恵みは救い、義とし、建て上げ、受け入れられるようにし、贖い、赦し、嗣業を授け、神の御前における立場を与え、あわれみと助けとを求めて大胆に近づくことのできる恵みの座を備えてくれるのである。恵みは、どのように生きるべきかを私たちに教え、私たちに祝福に満ちた望みを与えてくれるのである!さらに、これらの様々な原則が混同することはありえないのである。

 「そして、恵みによるのであれば、もはや行いによるのではない。そうでないと、恵みはもはや恵みではなくなるからである。しかし、もし行いによるのであれば、もはや恵みではない。そうでないと、行いは行いではなくなるからである」(ローマ十一・六)。

 「さて、働く人に対する報酬は、恵みとしてではなく、当然の支払いとして認められる。しかし、働きはなくても、不敬虔な者を義とする方を信じる人は、その信仰が義と認められるのである」(ローマ四・四~五:ガラテヤ三・十六~十八、四・二十一~三十一も見よ)。

 「それゆえ、兄弟たちよ、私たちは奴隷女の子ではなく、自由な女の子である」(ガラテヤ四・三十一)。

 「あなたたちが近づいているのは、手で触ることができ、火が燃え、黒雲や暗闇や嵐につつまれ、また、ラッパの響きや、聞いた者たちがそれ以上、耳にしたくないと願ったような言葉が響いてきた山ではない。(そこでは、彼らは、『獣であっても、山に触れる者は、石で打ち殺されるか、矢で刺し貫かれる』という命令の言葉に耐えることができなかったのである。その光景が恐ろしかったのでモーセでさえも、『私は大いに恐れおののく』と言ったほどである。)しかし、あなたたちが近づいているのは、シオンの山、生ける神の都、天のエルサレム、無数の御使いの群れ、天に記されている長子たちの会衆及び教会、万物の審判者なる神、全うされた義人たちの霊、新しい契約の仲保者イエス、ならびに、アベルの血よりも優れたことを告げる注ぎの血である」(ヘブル十二・十八~二十四)。

 それゆえこれは、神がシナイ山から語られた御言葉を道徳律法と祭儀律法とに分ける問題ではない――信者がこの山に行くことは決してないからである。

 健全な昔のバンヤンが述べた通りである。「信者は今や、主イエスを信じる信仰により、完全で祝福に満ちた義の下に覆われている。そのため、シナイ山のこの響き渡る律法は、信者のうちに間違いや欠点を少しも見いだすことはできない。これがいわゆる、律法によらない神の義である」。

 これが未信者の目にとまるなら、その人は、自分が犯した聖にして義なる律法の真の判決を受け入れるよう、愛情に満ちた勧めを受けるであろう。「なぜなら、そこには何の差別もないからである。すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光に欠けているのである」(ローマ三・二十二~二十三)。キリストによって、そのような人は完全な永遠の救いを受けるであろう。こう書き記されている通りである、「あなたが自分の口で主イエスを告白し、神が彼を死者の中からよみがえらせたことを心に信じるなら、あなたは救われる」(ローマ十・九)。なぜなら、キリストは「信じるすべての者を義とするために、律法の終わりとなられた」(ローマ十・四)からである。


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