神の声と神のことば

 聖書は書き記された神のことばを聞く本であって、宇宙は書き記されざる神の声を聞く本である。

 世人は聖書の中にある神のことばさえも聞きわけえない。どうして天地間に響きおる神の美妙なる声を聞きわけえようか。

 神の声の中には、文章となしえるものもあり、またならぬものもある。同じく神のことばであっても、言(レマ)と道(ロゴス)があるようなものである(ヨハネ一七・八、一四)。

 アダムとエバがエデンの園にて聞いたところの神の声(創世記三・八)は、文章となしていなかったけれども彼らは恐れて身を隠した。パウロはダマスコ行きの途上で聞いた神の声には意味があった(使徒九・四)。しかしそばにいた者にはわからなかった。ヨハネ伝一二・二八にある天よりの声もそうである。かたわらに立てる人々にはただ雷としか思われなかった。この種の声はいまでも聞こえるということを知る人は幾人あるか。「かくて三日の朝に至りて、いかずちといなぴかり、および厚き雲山の上にあり、またラッパの声ありてはなはだ高かり、営にある民みな震う。……モーセことばをいだすに神声をもて答えたもう」(出エジプト一九・一六、一九)。これは旧約時代のことであったが、新約時代においても耳にすることができるのである。「昔はその声地を震えり。いまは彼告げて言わく、われまた一たび地のみならず天をも震わん」(へブル一二・二六)とある。これ大地震である。地震をぱ単に地震と心得、雷をぱ単に雷と心得ている人には、これらのことは何の意味もない。しかし神を信ずる者には、これらはことごとく意味をなして聞こえるのである。「エホバは天にいかずちをとどろかせたまえり。いと高き者の声いでて、雷と燃えたる炭と降りきたり」(詩篇一八・一三)とあるは、すなわちこれである。「神の声のひびき、およびその口よりいずるとどろきをよく聞け。……彼威光の声を放ちて鳴り渡りたもう」(ヨブ三七・二、四)。

 神の声は必ずしも大いなるものではない。エリヤの時のごとく静かなる細き声のようなものである。無線電信家が言うには、空中には絶えずどこかで雷が鳴っていると。われわれの耳に聞こえるような雷のみが雷であるのではない。われわれの耳に聞こえざる雷でも、特種の装置さえすれば確かに聞こゆるのである。かくのごとく霊界においても、信仰を確実になし、超自然界の声を聞く耳を鋭敏にするならば、神の声を聞くことができるのである。雷また地震、大雨または大風、波の音、川の音または松風のようなものまでも、神の声となって聞こえるものである。これは主観的のものではない。そう思うからそう聞こえるのではない。神は生きていたもう。ゆえに語りたもうのである。しかしその御声は聖書の明文と矛盾するものではいけない。悪魔でも超自然的に語る。さればその声は神のものなるやいなやを試みなければならない。

 ペンテコステの日にエルサレムに起こった「この音」なるものは神の声であった。それから聖霊に満たされた弟子たちは語り始めたのである。もし現代の伝道者がかかる御声を直接に聞くことができるならば、権威をもって人々に神のことばを語ることができると信ずる。

 いかにせばこの声を聞くことができるか。これは祈祷の結果である。モーセのごとく神と親しく交わることによって聞きえるものである。また祈祷の結果として、大リバイバルが起こる時に、まま起こるところの現象である。しかる時には議論でなく、神の声に扱われて悔い改める者が起こるものである。われらには神のみことばなる聖書がある。これさえあれば大丈夫である。しかし同時に神の声なるものがあることを知っておかねばならぬ。

 「末の世に至りて、われわが御霊をもてすべての人に注がん。なんじらの息子娘も預言すべし」(使徒二・一七)。この種の預言は神の声を聞いた人でなければできぬものである。どうかかかることが一日も早く行なわれんことをひたすら祈るものである。しかる時には証人は学者のごとくならず、権威を持てる者のごとくなって、福音を伝えるようになるのである。(大正十三年七月二十四日)

健全なる信仰

 「その証しはまことなり。さればなんじきぴしく彼らを責めよ。なんじらがユダヤ人の昔話と真理を捨てる人の戒めとに心を寄することなく、信仰を健全にせんためなり」(テトス一・一三、一四)

 不健全なる信仰は病的のものである。それは信仰と名づくることができぬもので、一種の推測、感情または思想にすぎない。これは人間の手製のものであり、時代や境遇や事件によって種々に変化するものである。ある人は自分の主義を信仰と言っている。しかしかかるものはわれらのいわゆる信仰なるものとは全く異なったものである。健全なる信仰とは神のたまものである。「なんじらの信ずるは神の大いなる力の働きによるなり」(エペソ一・一九)。かかる信仰は人間の意志によって信ずるというよりも、神に信じさせていただくところのものである。自作的のものでなくて、天作的なものであるから、その信仰の性質は超自然のものである。その結果として、「神の力のきわめて大いなることを知る」ことができるのである。

 次にこの信仰は、「なんじキリスト・イエスにある信仰と愛とをもて、われより聞きしことばの模範を保ち」(Ⅱテモテ一・一三)とあるごとく、健全なることばが土台となっておらねばならぬ。「しかれば信仰は聞くよりいで、聞くところは神のことばによれるなり」(ロマ一○・一七)。これは天地はうせるともうせざるいのちのことばである。これにさえ根拠を据えておりさえすれば堅固なものである。多くの人の信仰がぐらつくのは、神のみことばの知識がないからである。聖書にかく記されてあると、常にそれに頼む人の信仰は確かに健全である。

 次にこの信仰にとってたいせつなものは健全なる教理である。「されどなんじは健全なる教えにかなうことを語れ」(テトスニ・一)。ある人は恵まれておりさえすれば、教理などはどうでもよいと言うが、教理は背骨のようなものである。かかる人は肉さえあれば骨がなくてもよいと言うのと同じである。この末の世においては、悪魔は種々美しきことばをもって多くの人々を欺かんとしている。彼はみことばをオブラートとして毒薬を包み、多くの信者に飲ましめんとしている。さればゆだんしてはならぬ。救いの教理でも、聖潔でも、神癒でも、再臨でも、よほどしっかりした教理に立っておらぬとごまかされてしまう。されば・教理をいやしめてはならぬ。大いに尊重せねぱならぬ。「また恥ずるところなき働く者となりて、真のことばを正しく分かち教えんことを務むべし」(Ⅱテモテ二・一五)。伝道者の責任はここにあるのである。信者が岐路に迷うのは、これを教える教役者が徹底的に教理を教えないからである。

 次に健全なる信仰とは、確固不抜の信仰である。「さまざまの教えの風に動かされず」(エペソ四・一四)とはかかる信仰である。ある人の信仰はうわ気である。珍しものずきであるために、いつも浮き草のように新説に動かされている。科学だ、哲学だ、時代思潮だなどと、いろいろなものにかぶれている。あたかも皮膚の弱い人がいつも時候の変わり目に風邪にかかるようなものである。かかる信仰ではとても霊界の難関を突破することができない。わずか一寸か五分しかない小さな魚でも、生命があるから激流にさかのぼって行けるように、健全なる信仰の持ち主はどしどしと進んで行けるものである。さればかかる人は進行いっぽうの信仰家である。かかる人は少しも退却しない。「神の義はこれに現われて、信仰より信仰に至れり」(ロマ一・一七)。信仰そのものは健康体であるから疲れることを知らない。ただ進み行くいっぽうである。さればいよいよ神の栄光を拝することができるのである。かかる人には憂色がない。いつも喜色満面である。かかる人ばすなわち、「神の子を信じこれを知れり。全き人すなわちキリストの満ち足れるほどとなるまでに至り」(エペソ四・一三)とあるごとく、聖徒としての十分なる寸法に達するのである。この種の信仰に欠けておる人は、いわゆる霊界の一寸法師で、くじはずれ、落選の仲間になるのである。

 愛する兄姉らよ、かかる信仰におるやいなや、自ら省み、自ら試みる必要があるのではないか。主はこれを明らかになしたもうのである。

「中田重治小論選集」より

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まとめtyaiました【神の声と神のことば】

神の声と神のことば 聖書は書き記された神のことばを聞く本であって、宇宙は書き記されざる神の声を聞く本である。 世人は聖書の中にある神のことばさえも聞きわけえない。どうして天地間に響きおる神の美妙なる声を聞きわけえようか。 神の声の中には、文章となしえる...
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