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 1.十字架は神に対する愛で私たちを鼓舞します。もう一度言わせてください――十字架は動機づけるだけではありません。私たちはこれほどまでに私たちを愛してくださった神を愛すべきこと、感謝して愛すべきことを、みなが認めます。しかし、そうはいきません。ある動機によって、強い願いが生じるかもしれませんが、力を与えることはできません。神に対する私たちの愛が神が求めておられるもの、心を尽くした喜びに満ちた愛となるには、律法がなした以上のことを十字架はなさなければなりません。律法はそれを要求しました。神はイスラエルをエジプトから贖い出されたからです。しかし、律法は愛の命を与えませんでした。さらに偉大な十字架の贖いを指し示して、この要求を千倍にしても、それによって従う力を与えることはできません。十字架は愛に対する願いと動機を鼓舞するだけでなく、まさに愛することを可能ならしめる命であり、まさに愛してやまない愛なのです。

 そして、これはひとかたならぬものです。神の愛が十字架で現れたのは、私たちがその美しさを遠くから眺めて、その流れから心ゆくまで飲むことを渇望するようになった後、自分に理解可能な貧弱な経験で満足するためではありません。まったくちがいます。神の愛が満足するのは、私たちの心がそのホームとなり、「私のとこしえの休み場」(ヨハネ十四・二一~二三と比較せよ)となるときだけです。神の愛は十字架上で人類全体に現れただけではありません。十字架は個人の救いをもたらします。彼はご自身の愛を私たちのうちに啓示することを待っておられます。十字架上でキリストは暗闇の全勢力に勝利されたので、彼に贖われた者は罪の支配から解放されて、自分の心の中に神の聖なる愛を受け入れる者となることができます。

 この同じ真理のもう一つの面は、十字架上で私たちの古い人はキリストと共に十字架につけられて、私たちは罪に対して、自己の古い命と自己中心性に対して死んだ、ということです。あの死を通って、私たちはキリストと共に彼の命の中に移り、神に至りました。愛の命が自己の命に取って代わります。「彼が生きているのは、神に対して生きておられるのです」。「私は律法に対して死んでいます。それは神に対して生きるためです」。「キリスト・イエスの中で、あなたたちも、自分は神に対して生きていると認めなさい」。神に対して生きる命は、愛の中で彼のもとに上る命にほかなりません。これを信じようではありませんか――神の命と愛が、罪と自己から解放して、心の中に入ったことにより、心を尽くして神を愛することが可能になったのです。十字架は私たちのうちに彼の愛を示すだけでなく与えてくれるのです。


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