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 (a)私たちは絶えず新たに清めてもらうために十字架に戻らなければなりません。清めの血をもはや必要としなくなる地点に達することは決してありえません。「洗われた者は、足以外に洗う必要はありません」。私たちのクリスチャンの歩みでどんなに注意していたとしても、この世との接触によって汚されてしまいます。確かに、クリスチャンは故意に罪を犯すことはありませんが、何らかのきっかけでつまずいて、衣にずっと土がついてしまうかもしれません。光の中を歩んで、贖い主との絶えざる交わりの中を歩むことを願うなら、必要が生じるたびに、直ちに十字架に戻って、自分の衣を小羊の血で新たに洗うことを学ばなければなりません。

 (b)私たちは絶えず新たに「自己の命」を取り除いてもらうために十字架の力を取らなければなりません。確かに、私たちは死と復活によりキリストと一体化されたという法理的立場にあり、それを聖霊の力の中で一度受け入れるなら、それは不可侵な基礎となります。私たちはそれを感覚にかかわらず事実と見なします。神が御言葉の中で断言しておられることを真実と見なします。しかし、罪に対して死なれたキリストと一つである、と見なすよう私たちは命じられていますが(ローマ六・一一)、これは圧倒的な勝利者になることを願うクリスチャンが永遠に経験の中に保持すべきものです。無防備な瞬間は、「天然の車輪を回す」きっかけになりかねません。私は自分の中心に戻って、十字架の屠る力を新たに取り、「自己」を否まなければなりません。さもないと、天然の古い命が密かに戻ってきてしまいます。

 (c)私たちは永遠に十字架に戻り続けなければなりません。さもないと、「私たちの死すべき肉体においてイエスの命を現わすために、私たちをイエスのために死に渡す」という摂理が、神の全き御旨を成し遂げることはきっとないでしょう。死から発する以外に命はありません。これが永遠に十字架に戻り続けなければならない理由です。神は豊かな実を獲得されるでしょうが、麦粒は地に落ちて死ななければなりません。さもないと、一粒のままです。私たちが他の人々に伝える命の豊かさは常に、私たちがキリストにあってあずかる死の深さによります。神のための新たな働きの前には必ず、私たちを死に連れ下る逆境が先立たなければなりません(主は必ずそれを備えられます)。豊かに実を結ぶには他の道はありません。


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