FC2ブログ

血は命である

 3.十字架につけられたいのち――私たちはキリストの生活を過小評価するべきではありませんが、他方、彼の死の意義はどんなに高く評価しても評価しすぎることはありません。

 教師たちのある学派は、キリスト教社会主義や、キリストの模範を社会的・世俗的問題全般に適用することについて多く語ります。しかし、この人々はカルバリの手前で止まってしまいます。彼らは、聖書全体の鍵であり、すべてのクリスチャンの希望と経験の鍵である、あの偉大な出来事を無視します。そのため、霊的に深いこの手紙においてさえ、私たちは「血」というこの表現にすぐにでくわします。この表現は、聖い畏れとやさしさのこもった警告をもって、私たちに立ち止まるよう命じます。ヨハネは手紙を書き始めるやいなや、二色の濃深色――黒い罪のしみとキリストの尊い血――で全編を彩ります。「御子イエス・キリストの血がすべての罪から私たちを清めます」(ヨハネ第一の手紙一章七節)。これこそ、復活節と復活、カルバリの十字架、イエス・キリストの死の背後にある偉大な事実です。彼は犠牲を払って自己を明け渡し、神聖で人間的な麗しいいのちを捨てられましたが、これは私たちにどのように死ぬのかを教える従順と服従の模範であるだけでなく、咎のための贖い、人々の罪に対する神の義を満足させるものでもあります。ヨハネは、イエスの霊といのちに対する深い洞察力によって、キリストの血が持つ贖罪の意義を他の弟子たちにまさって認識しました。「見よ、神の小羊」という言葉が、彼の美しい福音書全体に基調として鳴り響いているようです。「イエス・キリストの血」が彼の手紙の背景です。「私たちを愛して、ご自身の血により私たちを罪から洗って下さった方に」が、荘厳な黙示録の中で繰り返し歌われる贖いの歌の基調です。イエス・キリストの血が意味するのはまさに、無限の価値を持つそのいのちを、彼は私たちの失われた命の身代わり、贖いの代価として与えて下さったということです。


オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館
オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館へ


コメント
トラックバック
トラックバックURL
コメントフォーム
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール
カレンダー
05 | 2020/06 | 07
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -
全記事表示リンク
検索フォーム
個人のブログに関するリンク集
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

電子書籍
Glorious Secret
ジェシー・ペン-ルイス
「栄光の奥義」


The Cross of Christ
アンドリュー・マーレー
「キリストの十字架」


ランキングサイト
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ

人気ブログランキングへ ブログランキング

ブログのまどランキングへ ブログ王へ

ブログランキング【くつろぐ】

QRコード
QR
カウンター

Page Top
Powered by FC2 Blog | | Template Design by スタンダード・デザインラボ