| 02 | 19 |
| 2020 | |
この本から再び引用することにします。「将軍職に対する最も困難な試金石は、意志の強さと柔軟性の間のバランスを取ることである。これに敵は失敗した。敵は意志の強さによって大成功を収めたが、柔軟性の欠如のせいで大損害を被ったのである」。
この「柔軟性」という言葉は問題を起こしかねないので、それに代わる言葉を提案することにしましょう。例えば、適応性、順応性、教えやすさ又は「素直さ」、才能の豊かさ、独創性です。これらの言葉はみな「柔軟性」という言葉を横から照らす光です。東南アジア軍事作戦の場合、私が紹介した引用はまさに次のことを意味しました。すなわち、敵は一定の型にはまりきっていたのです。特定の道を行くことに固執して、それによって堅く縛られていたので、何らかの原因でそれが覆されたとき、全く意気阻喪してしまったのです。敵には代替案がありませんでした。不意の出来事に対応する能力、計画外のことに対応する能力がありませんでした。自分の決めた道から状況が外れると、全く混乱の中に陥りました。「柔軟性の欠如のせいで大損害を被ったのである」というこの引用の通りです。ここには学ぶべき教訓が確かにあります。
おそらく、意志の強さという資質はどんなに重視しても重視しすぎることはないでしょう。新約聖書は、堅く耐え忍ぶこと、前進する決意、退かないこと、といった事柄で満ちています。私たちはそのような人々でなければなりません――これはその通りです。しかし、ここで述べられていることがわかります、「将軍職に対する最も困難な試金石は、意志の強さと柔軟性の間のバランスを取ることである」。これに取り組むとき、それは本当に困難な学課であることがわかります。新たな状況に順応しつつ、それでも堅固であり続けるすべを学ぶのは難しいことです。幸いなことに、新約聖書の中にこれに関する実例がいくつかあります。それらの実例を見ずに、教会史の中にあまり深く立ち入ることはしないことにします。
さてペテロは、旧約聖書とそれに関する自分の解釈にしたがって、自分の決まった道、自分の決まった立場を取っていました。彼の決まった立場、彼の堅く定まった立場の観点から、彼は「それはだめです、主よ!」と主と議論しようとしました。彼が「その幻について考えて」(使徒一〇・一九)主と共にこの問題に決着をつけるまで、彼には柔軟性も順応性もありませんでしたし、教えられやすくもありませんでした。しかし、堅固さや意志の強さを失うことなく、主が与えられた新しい光、主を知る新たな知識、主の新たな道に彼が順応した時、それはペテロだけでなく教会全体にとって何と途方もない一歩だったことでしょう。しかし、それでも多くの人々にはそれができません。どうしてもできません。
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