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「なぜなら、私たちは肉の中で歩いてはいても、肉にしたがって戦っているのではないからです(私たちの戦いの武器は、肉のものではなく、神の御前に力があって、要塞をも破壊し)神の知識に逆らい立っている想像や、あらゆる高ぶりを打ち倒し、あらゆる思いをとりこにして、キリストに対して従順にならせます。」(二コリント一〇・三~五)


 この節の後半を取り上げます。「想像を打ち倒し(欄外は『理屈』という別訳を与えています)……あらゆる思いをとりこにして、キリストに対して従順にならせます」。私たちは今、この大きな霊の戦いに関して精神の問題を一緒に見ることにします。誤った精神は勝利を危うくする脅威ですが、正しい精神には途方もない益があります。私は再び、一連の章を通して引用してきた本を用いることにします。この本には「精神」という言葉は明示的に使われてはいませんが、私が述べようとしていることの本質は確かにそこに見い出されます。

高等指令官に関する誤った考え

 私たちが最初に考えた主題――最高司令官という主題――に戻って、直ちにこう述べることにしましょう。戦場にいる通称教会と呼ばれている全軍勢の最高司令官である主イエスに関して、誤った考えを抱くおそれがある、と。彼に関する誤った考えとは、彼はすべてを捧げる対象ではなく、すべてをそこから得る対象である、というものです。自分たちは本部から何を得られるのか、自分たちにとってどんな益があるのか、自分たちに引き寄せる観点で常に考えてしまう大きな危険性があります。事実上――私たちはこれを決して認めないでしょうが――自分たち自身、自分たちの権益を、実際のところ、最高司令官の権益の代わりにしてしまうのです。なぜなら、結局はそうなるからです。

 まさにこの点に関して、「一般的」キリスト教は大きな害を及ぼしてきました。キリスト教は間違った基礎の上に据えられてきました。あるいはもしかすると、少しばかり寛大になろうとして、不適切な基礎の上に据えられてきました。宣べ伝えはほとんど、私たちは何を得るのか、という観点からしかなされていません。私たちは永遠の命、平安、喜び、満足を得ます――これらすべてに加えて天も得ます!しかし強調点の大部分は、私たちは主イエス、私たちの最高司令官から何を得るのか、ということです。これは全く悪いものではないにしても、もし原則となるなら、少なくとも不適切な精神といえます。クリスチャン生活全体を誤解しています。少ししたらこの点に戻ることにします。正しい精神――よく聞いて下さい、この偉大な目的を果たし、この重大な目標に寄与することになる唯一の精神――は「主からすべてを得よ」ではなく「すべてを主に捧げよ」という原則によって支配されている精神なのです。


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