FC2ブログ

使命感と奉仕の精神の動力

 使命感、責任感の助けについて一言述べて終わることにします。私たちがその中にあるものの偉大さに関するこの感覚を私たちが持ってさえいれば!聖霊を受けた者として、私たちは価値ある者、重要な者でなければならない、という新たな感覚を私たちが持ってさえいれば。なぜなら私たちが聖霊を受けた理由は――私たちが価値ある者となるためだからです。これが私たちに関して重要です。これが私たちに関して重要なのは、私たちに対してではなく、状況全体に対してです。これに関するしかるべき感覚を私たちが持ってさえいれば、私たちはどれほど救われることでしょう!もし私たちの姿勢が「私は重要ではありません、役に立ちません」というものなら、間もなくどのような結果になるでしょう?惨めな人生です!

 最近、私は自己憐憫に関する記事を読みました。その記事では、ある女性が精神科医の助けを求めた顛末について述べられていました。「私は神経衰弱に罹っています」と彼女は言いました。精神科医は多大な労を惜しまずに彼女の来歴を分析し、慰めとなる助言の言葉を与えてくれると、彼女は明らかに期待していました。しかし彼は言いました、「親愛なる御婦人、家にお帰りなさい。あなたの玄関の鍵を回して、鉄道を渡った先にあるあの貧民街に向かいなさい。そして、助けを必要としている人を見つけて、仕事に取り掛かりなさい。そうすれば、あなたは決して神経衰弱にならないでしょう!」。

 この言葉には多くの神聖な良識がこめられています。私たちは与えることによって拡大されます。与えることによって私たちは何も失いません。私たちが増し加わるのは与える道、外に向かう道によります。そうです、「主の働きに常にあふれていなさい」。常に外と調和しなさい。奉仕の精神に促されて、どこにいても役に立つ者、助けになる者となるよう努めなさい。聖書を腕に抱えて、集会に行って語る用意をするだけでなく、実際的方法の限りを尽くして主の子供たちに対して霊的・物質的助けとなりなさい。これこそ、私たちを惨めな存在から救うだけでなく、私たちを広げてくれる道です。

 これはとても実際的ですが、大いに真実です。御霊が私たちに与えられているのは「益となるため」です!聖霊は生来の私たちがなりえないような価値ある者に私たちをならせることができます。もし私たち自身の状態のまま、私たち自身の天然の手腕、賜物、能力のまま――あるいはそれらに欠けたまま――放置されていたなら、私たちの多くは今頃どこにいたでしょう?私たちは全く何の役にも立っていなかったでしょう。なぜなら、私たちには何もないからです。しかし御霊は見事に私たちの欠け目を補って下さいます。私たちの欠点を実際に益にして下さいます。御霊の助けにより、私たちはみなこの戦いの役に立つ者となることができます。そうならなければなりませんし、そうでなければなりません。


オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館
オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館へ

コメント
トラックバック
トラックバックURL
コメントフォーム
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール
カレンダー
01 | 2020/02 | 03
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
全記事表示リンク
検索フォーム
個人のブログに関するリンク集
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

電子書籍
Glorious Secret
ジェシー・ペン-ルイス
「栄光の奥義」


The Cross of Christ
アンドリュー・マーレー
「キリストの十字架」


ランキングサイト
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ

人気ブログランキングへ ブログランキング

ブログのまどランキングへ ブログ王へ

ブログランキング【くつろぐ】

QRコード
QR
カウンター

Page Top
Powered by FC2 Blog | | Template Design by スタンダード・デザインラボ