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服従と執拗さとの間の戦い

 それで、服従と執拗さという線に沿って、この問題が私たちに生じます。この二つは互いに敵対しているように、争いと不一致を示しているように思われます。執拗さと服従をどうすれば両立できるのでしょう?執拗さは服従を排斥するのではないでしょうか?服従は執拗さを排斥するのではないでしょうか?これらは互いに敵対しているように思われますが、それでもそうではありません。祈りのときに生じるこの問題は、扉を叩き続けること、叩くことを続けることであり、それでも服従することです。服従はあなたの叩く原動力を取り去るのではないでしょうか?あなたが叩く原動力は、あなたが服従を学んでいないことを意味するのではないでしょうか?頭の中ではそのように常に考えているわけではないかもしれませんが、この疑念が忍び込み、背後にとどまり、往々にして祈りから積極性、確信、明確さを奪い去ってしまいがちです。そのため、あなたは自分が緩衝地帯にいることに気づきます。

 これは問題であり、私たちはできるだけ明確にこれに決着をつけなければなりません。この問題を解くのは、私が思うに、道徳的要素が入り込んでいること、そして、神がもっぱら関わっておられるのは道徳的な要素・課題であることを理解する道によります。私たちの中に克服すべきもの、あるいは、切り抜けるべきものがあるのです。そしてこれは次のことを意味します。すなわち、神の相対的みこころにより、多くのことが起きるのを主は許されるであろうこと、あるいは、多くのことが主によって送られるであろうことです。その目的・理由は、私たちの中の或るものを乗り越えさせること、あるいは、私たち自身で或るものを切り抜けさせることです。なぜなら、道徳的要素が視野にあるからです。(私は今、「道徳的」という言葉をその最も広い意味で用いており、いかなる狭い意味でも用いていません。)私たちは理解しなければなりません。新創造は道徳的なものであり、私たちに関する限り完備ではないのです。新創造はそれ自身においては完全・完備ですが、私たちにおいては完備ではありません。旧創造が依然として存在しています。旧創造が実在しており、それは新創造の外にありますが、それが新創造に及ぼす影響は甚大です。罪は信者に対して消滅していませんし、信者に影響を及ぼすこの世も消滅していません。悪魔は信者に対して消滅していないことは言うまでもありません!しかし、この旧創造のまさに中心に、道徳的なものである新創造があります。しかし、それは道徳的なものです――それはその幼年期にある、と言えるでしょう。そして、その道徳的要素・要因は発達させられて、私たちを道徳的な被造物にしなければなりません。この言葉の完全な意味においてそうしなければなりません――つまり、信頼できる被造物、知的な被造物、新しい意識、新しい価値観、新しい原理認識を持つ被造物です。新しい天的世界全体が到来しました。そして、その知識と知恵を知的に所有しなければなりません。その秘訣を知り、その美徳を造り込まれなければなりません。再生によって主は私たちを単なるロボットや機械にしたわけではありません。私たちの意志、感情、願望、理性や知性抜きで、あるいはそれらとは関係なく動かし、方々に運んで、私たちに構わずに、何かをさせたり、やらせたりするものにしたわけではありません。そんなことは聖書にまったく反します。


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