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 さて、あなたは、「彼はある人々を使徒、ある人々を預言者、ある人々を伝道者、そしてある人々を牧者また教師として与えられました。それは聖徒たちを成就して、その務めの働きへと至らせるためです」という節を覚えているでしょう。この文章に何の区切りも入れてはなりません。「(教会を)成就して(教会を『完全にして』)その務めの働きへと至らせるためです」。私の聞いたところでは、キャンベル・モルガン博士は、この節のまさにこの文脈で、「この務めを果たしていない教会の奉仕者を神は助けて下さいます……」とかつて述べたそうです。そして、この二番目の点、すなわち教会それ自身の務めに、今朝は専念することにします。

 使徒たち、預言者たち、伝道者たち、牧者たち、教師たち、これらの特別な奉仕者たちについて話すつもりはありません。そうではなく、教会の務めについて話すことにします。そして、私たちが今週おもに専念してきたこの二つの手紙(コリント人への二つの手紙)は、明確に教会の務めを目的としています。使徒が述べていることはみな、コリントにおける神の務めの成就を背景としています。そして、これらの手紙は私たち自身の時代に至るまでのこの経綸全体にわたる伝達手段なので、それは教会に対してその務めに関して聖霊が述べておられることなのです。

 コリント人への第一の手紙で,教会のその務めを挫折させたり駄目にしたりするこれらすべての問題を使徒は扱っています。第二の手紙では、この務めの問題に関して彼は大いに明確化して強調しています。彼は「私たちはこの務めを持っているのですから」という言葉を使っています。そして、使徒は一つの教会、地方教会に宛てて書いているのであり、彼自身の務めについて述べているだけではないことを、あなたは思い出さなければなりません。それについてパウロには言うべきことがたくさんありますが、ここでは教会の務めについて述べているのであり、「私たち」というのはコリントの教会のことです。「私たちはこの務めを持っています」。それに関連する句は「私たちはこの宝を脆い土の器の中に持っています」です――これは使徒たちだけのことでしょうか?いいえ、この「私たち」は団体的であり、私たち全員です。この点にいま戻ることにします。なぜなら、けさ私たちが真に関心を寄せているのは、信者全員の務め、もしくは教会の務めだからです。


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