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 ペテロはパウロのだいぶ前に救われました。ペテロは主が肉体の中にあった日々、主と共に歩みました。ペテロは十字架に付けられ、復活し、天に迎えられたキリストを見ました。ペテロはペンテコステと聖霊降臨の場に居合わせて、聖霊の力の中で宣べ伝えました。彼は大群衆の救いに用いられました。ペテロは教会の柱の一人です。しかしガラテヤ人の手紙を開いて読み始めると、ずっと後に登場したパウロがこう述べています、「ペテロが下って来た時、私は面と向かって彼に抗議しました(中略)なぜなら、ある人々がエルサレムから下って来る前は、彼も中に入って異邦人たちと共に食事をしていたのに、ヤコブと他の数人がやってきたら退いたからです」。妥協です。名声のための妥協、兄弟たちにどう思われるかを気にするがゆえの妥協です!パウロは「私は面と向かって彼に抗議しました」と述べています。ここに比較的信仰の若い人がいて、妥協することなく、使徒たちの長の一人に抗議しています。これは年の問題ではありません。原則の問題です。人々がどれだけ長くこの道にあったかではなく、偶像を避ける問題です。彼らは「私たちはあなたよりも主をよく知っています」と言いますが、それが原則の問題なのかどうかを決して気にしません。あなたは人から色々なことを思われる危険を冒さなければなりませんが、自分の立場に立たなければなりません。何があっても、いかなる代価を払っても、この世の何ものも中に入れてはなりません。

 ハゾルの王であるヤビンを打ちなさい。今日、この働きをするギデオンたちを主は起こさなければなりません。これらのものはみな、霊の事柄の領域の中に入って来て支配する天然の命の何らかの様相や面を表しています。それは霊の力を損ない、御民における主イエスの絶対的至高性に対して直接反対します。多くの争点があるかもしれませんが、決定的な一つの問題は「誰が主になるのか?イエス・キリストか、それともこの世の神か?」ということです。興味深いことに、コリント人たちに対してこの両方のことが述べられています。「この世の神が盲目にしました」……「私たちはイエス・キリストを主として宣べ伝えます」。これらがその結果であり、次のような根拠に基づいて決着がつきます。すなわち、肉とこの世、天然的理解力と天然的知性という天然的要素の一つ一つがどれだけ屠られて、私たち自身がどれだけ無に帰すための道具となったのか、という根拠です。どうか私たちがそのような道具となりますように。


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