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 主は私たちに自分自身を裁く恵みを与えて下さいます。これは絶えず自分自身を分析する病的な内省を意味しません。それは束縛の道です。自己を裁くというこの問題は、すべて主と関係しています。主が示し、語り、要求されたものが何かあるでしょうか?主が知らせて下さったことが何かあるでしょうか?もし主が知らせておられないなら、あなたは安息することができます。あれこれ他のことを行うべきかどうかに関して、あなた自身の霊の中を調べ始めないで下さい。主を見続けて下さい。主との接触を保って下さい。主が語られたら従ってください。しかし、主が主導権をとるようにして下さい。主に主導権をとる機会を与えて下さい。私たちの霊的生活のすべての重荷を私たちが引き受けるのを、主は望んでおられません。主が私たちに望んでおられるのは、私たちを導くことだけです。それは、私たちが主と共に親密に歩んで、即時的かつ完全な従順という道を維持するためです。「主が私に示されたことは何でも、私は彼の恵みにより、ためらわず熱心に行うよう努めてきました」と言えるなら、私たちは平安・安息・勝利・賛美の状態にあるにちがいありません。ですから、前進して戦いの中に入りなさい。なぜなら、もしあなたが何かを保留したり、主と口論したりしているなら、あなたは戦うことが決してできないからです。

 これが述べうる他のすべてのことに対する鍵であると思います。これに続くものはみな、その結果にすぎません。主が望んでおられるのは、私たちが徹底的従順によって全く降伏して明け渡すことです。これが特に問題とならない人もいると思います。あなたは主の御顔を見つめて、「拒んだり棚上げしたりしたことを主に示されたものを、私は何も知りません」と言うことができるでしょう。これは幸いな状態であり、このような状態にあることは可能です。しかし、覚えておいて下さい。あなたは絶望的状況に遭遇して、その状況に処する方法を知りたくなるかもしれません。

 霊的束縛の十中八九は、主と共に神のみこころの中を進み続けることを拒んだことにまで遡れます。神の人は自分の働きのために徹底的に整えられなければなりません。これがまず第一に課題として私たちの心に臨まなければなりません。そして、私たちは神の御前で自分自身を訓練しなければなりません。しかし、私たちがその中に召されたもののために、彼もまた私たちを備えなければなりません。なぜなら、至る所にいる神の民の霊的状態と私たちは関係しているからです。これらの士師たちはみな、民の状態によって、個人的に厳しい苦しみにあいました。そして、それによって彼らは士師になることができたのです。主が他の人々を解放するために一人の僕を用いようとされるとき、主はその僕にある個人的な経験を通らせなければなりません。その経験は今日のこの世の状態のように全体の状態に関するものです。主が望んでおられるのは、主の栄光へと至るものを回復することです。主は御自身の御言葉を私たちの心に印象づけなければなりません。


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