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 「子は、父が行われることを見ないでは、自分から何もすることができません。(中略)なぜなら、父は子を愛して、彼御自身が行われるすべての事を子に示されるからです。(中略)私は自分からは何も行うことができません。(中略)なぜなら私は自分自身の意志を求めないで、私を遣わされた方の御旨を求めているからです」ヨハ五・一九~二〇、三〇。

 「彼、すなわち真理の霊が来る時、彼はあなたたちをすべての真理の中に案内します。なぜなら、彼は自分自身から語るのではなく、彼が聞くことを語るからです」ヨハ一六・一三。

 「命の霊の法則が、キリスト・イエスの中で、罪と死の法則から、私を自由にしました」ロマ八・二。

 「……彼は神を御自分の父と呼んで、御自身を神と等しくされた。(中略)なぜなら、父は死者を起こして彼らに命を与えられるように、子も自分が与えたい者に命を与えるからです」ヨハ五・一八、二一。

 最初に、聖書のこれらの節を注意深く読んで心に留めるようお願いしたいと思います。御父と御子、御子と御父との間にはすばらしい一致があることがわかるでしょう。この一致は「もまた」というささやかな句によって表されています。

 特別に注意すべき点は、自分からは何も行えないことを主イエスが強調しておられることです。もしこの発言の重みが心に完全に迫るのを許すなら、私たちの黙想の最初に専念したこと、すなわち、主イエスは御父に絶対的に拠り頼む立場を自発的に受け入れられたことが新たにわかるでしょう。彼は自己を徹底的に空しくする立場を受け入れられました。彼の供給源の源は彼の中にではなく、御父の中にありました。「子は自分から何もすることができません」。彼自身のパースンの中には、物事をなす供給源は何もありませんでした。事実上、彼は「すべての供給源は御父の中にあります。私はすべてを御父から引き出さなければなりません。御父なしでは私は決して何もすることができません」と述べておられました。これを御子が述べるのは途方もないことです。それは御父との隠れた交わり・交流を大いに決定的なものとします!しかし、御父とのこの完全な交わりの必要性こそ、彼の隠れた供給源の一つだったのです。


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