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子たる身分が人に対する神の御旨を規定する

 さて、これに関連してさらに一、二点言うべきことがあります。第一は、この「子(son)」や「子たる身分(sonship)」という言葉は、人を創造した時に神の御心の中にあったものを私たちのために規定している、ということです。人は人ですが、神がこの特定の御旨のために目指しておられるのは完全な意味における人であり、完全な意味における人が「子(son)」という言葉で示されています。さて、私たちが「神は御自身を代表する者を得ることを望まれた」と述べた時、何を言わんとしていたのか、あなたは理解されたでしょう。神が「われわれのかたちに、われわれの姿に似せて、人を造ろう」と仰せられた時、それは言い換えると、「われわれを代表する者を造ろう」ということだったのです。

 これがどれほど私たちのために様々な方法で物事を解き明かしてくれるのかがわかるでしょう。例として、一人の代表者をどこかの領域、あるいはその領域の一部に遣わすことを考えましょう。その代表者は私たち自身としてそこにいます。彼は物事に関する私たちの思いを持っています。物事に関して私たちに由来する権威を持っています。彼がどう取り扱われるかが、私たちがどう取り扱われるかです。私たちは一つです。これこそまさに、預言者たちに関して旧約聖書中に頻出する、「人の子(Son of man)」という句の意味です。その文脈を見ると、神が御自分の代表者にあって語っておられること、その預言者たちが受けた取り扱いを神は御自身に対する取り扱いと見なされたこと、「人の子」という句はまさに「代表者」を意味することがわかります。神は来るべき世界をひとりの代表者、ひとりの団体的代表者によって統治されます。

 ですから、代表権は子たる身分によります。次のことを覚えておきましょう。子たる身分を得るのは、成熟に達して責任を負うようになる時であり、人の子(man's son)の完全な意味は父親を代表する者ということなのです(これは特にギリシャ人の間でそうでした。彼らはこの句を直ちに理解したでしょう)。私たちは時々、子(son)のことを子供(child)として述べることがありますが、言わんとしていることはわかります。しかし、ギリシャ人の間ではそんなことは決してありえませんでした。父親が成年に達した自分の子(son)のことを子供(child)として述べるのは恥ずべきことだったでしょう。子供は成年に達すると、責任と信頼と誉れを伴う地位に置かれました。なぜなら、今や、成熟した者、完全に成長した者とみなされたからです。幼年期よりも優る子たる身分は、代表権を表しています。神は御子(His Son)にあって代表されており、この御子は多くの子ら(sons)を栄光へと導かれます。子たる身分は、キリストと成熟に達したその肢体たちを表す包括的言葉になります。彼らが来るべき世界を統治します。


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