信者同士の関係性

 この別の面についての短い御言葉に移ることにします。この面については、コリント人への第一の手紙の十二章で触れられています。

 パウロはエペソ書で教会であるからだについて述べています。「彼のからだである教会」。これは会衆です。主の民のこの会衆は主の油塗られた器であり、主の御旨のためです。個々の信者が御霊を受け、御霊で油塗られるのが真実である一方で、主の油塗られた器であるのはキリストのからだ全体です。これはキリストが一つであるからであり、聖霊はすべての真の信者をキリストの中にもたらし、そうすることによってすべての真の信者を一つとするからです。なぜなら、キリストは一つであって分けることができないからです。言い換えると、これは「この油塗りは、言わば、各部に分配されるわけではない」と言うのと同じです。この油塗りは一つの油塗りです。私たちはみな一つ御霊の中で一つからだへとバプテスマされています。主は諸々の事柄を天からこのように御覧になっています。主はこの一つの団体的実体を、一つの油塗りの下にあるものと見なしておられます。これは真の教会は本質的に霊的であることを意味します。なぜなら、教会は内住の聖霊によって構成されているからです。その性質は霊的であり、霊の人について述べたことがみな、神の御心にしたがっている教会についても言えます。これは重要です。それは神が油塗られた器であるこの会衆に関する実際的価値のためです。

 この第一の実際的価値は命です。私たちが述べようとしていることを裏付ける経験を、あなたは一度もしたことがないかもしれません。それゆえ、今はその重要性が分からないかもしれません。しかし、これをあなたの心に留めて下さい。なぜなら、もしあなたが主と共に進み続けるつもりなら、あなたはこれを見い出し、これを必要とするようになるからです。命は神が油塗られた器であるこの会衆と結びついています。聖霊の交わりの意義を理解してその上に立たないなら――聖霊の交わりとは信者同士の交わりです(聖霊と私たち自身の間の交わりであるだけでなく、すべての信者の間の聖霊の交わりでもあります)――私たちは損なわれるでしょう。こういうわけで、パウロはいわゆる祝祷をコリント人への手紙の最後に置いたのです。どうして彼がそれを最後に置いたのかは完全に明らかです。


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