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神の民の失敗のせいで生じた相違

 しかし、これがそうである一方で、同じように事実であるこの二番目の点があります。すなわち、相違が存在するという事実です。これは神がそれを定められたからでも、そうなるよう決定されたからでもなく、人々自身のせいです。最も内側の所に祭司の一団が生じます。次に、それよりも外側の所に、祭司の一団ではない別の団体が生じます。この団体はレビの一団と称しうるものです。次に、さらに外側の所に、一般人と称しうる群衆が生じます。この後者の名称は必ずしも非難の言葉ではなく、主の民の一般的な集団を意味するにすぎません。彼らは主の証しと特別な関係にはありませんが、それでも主の民であり、その御名によって呼ばれています。これはこのように実現して行きますし、それはこのレビ記に見られる通りです。

神は祭司の一団を得なければならない

 目下の私たちの関心はこの祭司団です。なぜなら、この祭司団において、御自分の民に関する神の完全な御思いが実現・表現されるからです。神はそのような一団を得なければなりません。神が持つことになるあらゆるもの――神は一つの大群衆、一般的奉仕に携わる大きなレビの団体を持つことになるでしょう――にもかかわらず、神は祭司の一団を得なければなりません。さもないと、神の意図・御思いはすべて崩れて、神は敗北してしまいます。

 ですから、私たちが今見ているのは次のことです。すなわち、神はアロンの息子たち、祭司の一団によって示されているものを持たなければなりませんし、持とうとしておられるのです。この点から遡って行って、主のためのあらゆる種類の真の奉仕にまで至ることが可能です。祭司たちはレビ人たちを通して働きます。しかし、注意してください。レビ人たちは祭司たちの働きをすることは決してできません。レビ人たちは一般大衆のために働きますが、一般大衆はレビ人の働きをすることは決してできません。レビ人の働きをするにはレビ人でなければならず、祭司の働きをするには祭司でなければなりません。しかし、祭司であるなら、同じようにレビ人の働きもできますし、主の民全員に奉仕することもできます。御自分の民に対する主の特別な御旨に向かって進んで行くなら、主の奉仕から断ち切られることになる、とは思わないで下さい。

 さて、要点を理解されたでしょうか?主の御心は、もっぱら、最終的かつ究極的に、祭司職の上に据えられています。主はそのようなものを求めておられます。このようなものを得るために、主は御自分の民のただ中で、レビ人たち――彼らは主のために尊いけれども多かれ少なかれ一般的な奉仕をしています――のただ中で働かれます。レビ人たちは必要なあらゆる種類のことを主のために行います。しかし、御自分のために一般的な奉仕を行う者であるレビ人たちのただ中で主は働かれます。それはそれ以上のものを表す祭司の一団を得るためです。

 私たちはこれらのものの関連性に再び注意しなければなりません。なぜなら、祭司たちがいなければレビ人たちは機能できないからです。確かに祭司たちにはレビ人たちが必要ですが、次のことに注意しようではありませんか。すなわち、主はこの祭司団を得ない限り、御旨全体を真に成就することは決してできないのであり、この団体を確保するために特別な苦しみ、特別な備え、特別な働きがなされているのです。その詳細はすべて「主がモーセに命じられた」通りです。


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