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聖霊に対する服従

 第二に、これは信者にとって、御父の霊の訓練に服さなければならないことを意味します。この訓練により、私たちは子たる身分、あるいは成熟に達します。それは、もちろん、霊的知性、霊的力、霊的豊満を意味します。これは大まかな説明です。これを分解することにしましょう。

 私たちは御霊による御父の訓練に服さなければなりません。御父の霊は、子たちを扱うように私たちを扱われます。聖霊はこの訓練の働きに取りかかられます。それはへブル人への手紙では懲らしめと呼ばれています。その意味は子供の訓練に他なりません。この働きは極めて明確です。私たちが主との内なる合一のこの命を受け入れようとするなら、聖霊は私たちを取り扱われます。私たちは五分間でこれを卒業することはありません。とても多くの人が抱えている問題は、それがあまりにも遅く思われるため、彼らがこの問題を排除してしまうことです。慰めを受けるために次のことを覚えておきましょう。すなわち、主は通常、「主は自分に何をなさっているのだろう」と心配している個々の人から御自分を隠しておられるのです。自分が進歩しつつあること、とてもよくなりつつあることをあなたが知ったなら、あなたはその経験に栄光を帰して、それを大仰なものにし始めるでしょう。この自己がどれほど神の聖なる事柄を侵害するのか、また、その恐るべき高ぶり――これは大いに忌むべきものです――により、常に貴い実を駄目にし、それを取って自分のために得ようとしているのか、ただ神だけが御存知です。ですから、主は通常私たちから隠れておられます。そして私たちの感覚は大いによくなって行くよりはむしろ大いに悪くなって行きます。ますます豊なって行くよりはむしろますます乏しくなって行きます。もしかすると、私たちが昔感じたのと同じようには感じておらず、かつてなかったほど悪く、乏しく、貧しく感じているのは、主が働いておられる印なのかもしれません。

 要点はこうです。すなわち、自分自身の立場ではなくキリストの立場に基づいて生きることに関して、私たちは聖霊のこの訓練の御業に服さなければならないのです。それは一つの過程、一つの長引く過程になるでしょう。私たちがこの地上にいるあいだ、たとえ私たちがどれほど長くここにとどまったとしても、この過程は決して終わらないかもしれません。私たちが携え上げられるその瞬間、大いなる完全化の御業が加えてなされるのかもしれません。それにもかかわらず、多くのことがその短い時間に集中してなされるにせよ、あるいは、私たちの応答の遅さや、もしかすると反逆を主は考慮しなければならないため、その過程の期間を長く延ばさなければならないにせよ、次の事実は残ります。すなわち、聖霊は私たちに、自分自身の立場に基づいて生きることとキリストの立場に基づいて生きることの違いを教えてくださるという事実です。ただしそれは、私たちが聖霊にそうしていただくならの話です。


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