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 聖霊来臨に関する第二の点は、キリストは一つなので、御霊の御業はすべての信者をキリストにあって一つのからだにする、ということです。キリストを一人の信者の中に、あるいは個々の信者たちの中にもたらすことは、多くのキリストを多くの信者の中にもたらすことではありません。信者の数だけキリストがおられるようになるという問題ではありません。キリストは一つのままです。キリストは一つであって分けることができず、しかし御霊によって多くの信者の中にもたらされます。そうである以上、聖霊は多くの信者たちからキリストにある一つのからだを造られます。キリストは一つなので、そのからだは一つです。「一つからだ(中略)一つ御霊(中略)一つ主」。ですから、聖霊は個々の個人を扱っておられるのではありません。個人は聖霊の御旨の一部であり、キリストの本質的からだの一部です。このからだによりキリストは来るべき代々の時代に御自身を全く表されます。このからだは教会と呼ばれています。それ以外の教会は聖書にありません。神の御言葉が認める唯一の教会は、その中にキリストが住んでいて、信者たちを一つの団体的なからだとされる、信者たちの団体です。

 「体は一つでも多くの肢体があり、その一つからだの肢体たちはみな、数は多くても一つのからだであるように、そのキリスト(the Christ)も同様だからです」(一コリ一二・一二)。この冠詞は欽定訳では省かれていますが、ギリシャ語にはあります。新約聖書におけるギリシャ語の冠詞にはとても大きな重要性があることが分かっています。その有無は、話の一部の有無よりも遥かに多くのことを意味します。それは彼方まで及ぶ真理を支配します。この観点から見たそのキリスト(the Christ)はいかなる方でしょう?そのキリスト(the Christ)はかしらと肢体たちであり、みな一つのからだなのです。

 聖霊がここにおられるのは、第一に、キリストを信者の中にもたらすためであり、そうすることにより、彼は信じるすべての人の中に一つのキリストを形成しつつあります。一つのからだを構成しつつあります。そして、それが新約聖書にある教会です。


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