FC2ブログ

 私たちにとても馴染み深い一つの句が新約聖書の中にあります。「御霊に満たされる」という句です。この句が、一つの例外を除いて、ルカの書き物にしか現れない事実に私は感銘を受けてきました。その一つの例外はエペソ人への手紙の中にあります。

 ルカの書き物における彼の目的は、キリストを人の子として、神の完全な人として示すことです。彼がこの書を彼の友人であるテオピロに宛てて書くことに取り組んだとき、これがそれを支配していたことを私たちは知っています。テオピロはギリシャ人であり、彼の思いは完全にこの理想的で完全な人の周囲を巡っていました。そして、それゆえ、彼の全存在はそのような人を探していました。この思いに応えて、ルカは一つ目と二つ目の書を彼の友人に宛てて書くことに取りかかりました。そのように行った彼の目的全体、入念な意図は、キリストをそのような人として示すことでした。ですから、福音書と使徒行伝の両方で、この人、キリスト・イエス、人の子について特に述べられています。

神の御心にしたがっている人

 一つの例外を除いて、「御霊に満たされる」という句はルカの書き物にしか現れませんが、これには意義があります。私が思うに、これは次のことを明確かつ決定的に示しています。すなわち、そうなることを神が要求しておられる者に人をならせるのは、御霊に満たされることなのです。あるいは、別の言い方をすると、神が人のための御自分の御心として、御自分の理想として、御自分に応える人として示しておられるこの人は、御霊に満たされている人です。これを再び別の言い方で述べると、主イエスによって示されているこの人に到達できるようになるには、まず御霊に満たされることが必要なのです。人についての神の御思いを満足させるものを神が明示するには、それは御霊に満たされたこの人、この人の子にしたがっていなければなりません。

 この例外もまたとても啓蒙的であり、意義深いです。なぜなら、この例外は団体的な人に関して現れるからです。エペソ書では「ひとりの新しい人」、この団体的な人が示されており、それに関連して御霊に満たされなければなりません。ですから、ルカにおいてもパウロにおいても、この原則が成り立つことがわかります。御霊に満たされることは、人に対する神の目的を実現するための道であり基礎なのです。

 これを念頭に置いて、私たちは進むことができます。そしてもう一度、主が私たちに何を言っておられるのかを理解して見渡すことにします。

御座にある人

 私たちが達した要点は、第一に、神は、子たる身分に関して、一つの人性を完成されたということです。彼はこの性質を引き受けて、この完成された人間の命、人性を天にもたらされました。これが第一段階です。このように述べるにあたって、次のことを繰り返す必要があるかもしれません。この特別な人性の中には罪深いものが何かあった、ということを私たちは言っているのではありません。ただ、赤ん坊に落ち度がないように、赤ん坊として完全だったのであり、あらゆる意味で、内的にも外的にも、キリストが完成されたのと同じように、依然として成長してひとりの完全な人にならなければならないのです。キリストが完成されたのは、彼の中に道徳的な意味で不完全なものが何かあったからではなく、試みを受けて彼の人性の中にあったこれらの完全な力が成熟に至ったからです。ですからこのような意味で、この完全に成長した人が神の御前にあります。それは成熟した、完全な人性です。


オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館
オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館へ

コメント
トラックバック
トラックバックURL
コメントフォーム
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール
カレンダー
07 | 2018/08 | 09
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
全記事表示リンク
検索フォーム
個人のブログに関するリンク集
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

電子書籍
Glorious Secret
ジェシー・ペン-ルイス
「栄光の奥義」


The Cross of Christ
アンドリュー・マーレー
「キリストの十字架」


ランキングサイト
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ

人気ブログランキングへ ブログランキング

ブログのまどランキングへ ブログ王へ

ブログランキング【くつろぐ】

QRコード
QR
カウンター

Page Top
Powered by FC2 Blog | | Template Design by スタンダード・デザインラボ