私が述べているのは、「勝利者でなければ天に辿りつけない」ということではなく、「主が求めておられるのは、主が必要としておられ、主にとって特に貴いものである」ということです。勝利者は主を満足させ、主が永遠の過去からずっと御心を定めてこられたものに応じ、主の嗣業と行動を共にします。エペソ書の一つ目の御言葉「聖徒たちの中にある彼の嗣業の栄光の富」と並んでもう一つの節「あなたたちも神の住まいのために共に建造されます」を示したのは、これが理由です。ダビデの心は神の住まいに据えられていました。神の栄光を示すことができる住まいです。ですから、ソロモンが宮を建てるよう彼は配慮しました。その輝かしい結末は、「エホバの栄光がエホバの家に満ちたので、その栄光のゆえに祭司たちですら中にとどまっていられなかった」です。主はその場所を御自身の栄光で満たされました。その中に人のための余地はありませんでした。主の僕たちですらそうでした。私たちは神の住まいのために共に建造されます。それは神が、聖徒たちの中に彼の嗣業の栄光の富を持つようになるためです。それは心の問題です。

 さて、すべては理解できなくても、すべては覚えられなくても、これらすべてに対する鍵を受け取って下さい。勝利者に関する問題はすべて、次のように表すことができます。それはすべてに触れます。その鍵とは、「その中に含まれるものが、すべて自分の人生で真に成就されるよう、私は主に求めるつもりである!」ということです。この問題の核心は、「主が望んでおられるもの、主が私によって、私を通して得ることができるものを、主はすべて得なければなりません。たとえどんな代価を払っても。主が御自身の嗣業を得なければなりません。事物や、自分が欲するものや、自分の好きなものではなく、主が求めておられるものを私は求めます」ということです。ああ、「このような熱心さ、このような配慮、このような情熱の支配下に自分をもたらして下さい」と主に求めなさい。その報いは決して小さくありません。主から「私の心にかなう者」と言ってもらえることは、私にとって受けうる最大の報いです。あなたはこれを欲するでしょうか?「私の心にかなう者!」。ああ、そうです。私たちは何という人でしょう!ダビデやエリヤは私たちと同じ心情の人でした。失敗、挫折、恥でいっぱいでした――そうです、しかし、この人々について神は、その内側を御覧になって、そうしたすべてのものにもかかわらず、「ああ、私の栄光を堅く求める心、私の最も完全な御旨に対して熱心な心が、そこにあります」「私の心にかなう人である」と言うことができます。主にそのように言ってもらえるようになること、私が望む報いはただそれだけです。主が御覧になるとき、どうか私たちがそのような者でありますように。

「勝利者」 完


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