現実と非現実

 最近御言葉を読んでいたとき、二つの出来事に出くわして私は感銘を受けました。その一つはエリヤの大きな戦いです。それをカルメル山上のリバイバルとも呼べるでしょう。ほぼ普遍的なものになりかけていたバアル礼拝との、あの凄まじい戦いの物語をあなたは御存じでしょう。祭壇が設けられてエホバが呼び求められ、火が下った時、神の力と正しさが大いに力強く示されました。そして、この同じ民は直ちに「エホバこそ神である!エホバこそ神である!」と叫びました。これを一大リバイバルと呼べるでしょう。すべての民が「主は私たちと共におられます。私たちは主の味方です!エホバは主です。私たちは主の側につきます!」と叫びます。その後すぐに、エリヤは絶望します。それはまったくイゼベルの言葉のためだった、とは私は信じません。彼女は、いわば絶好の時に、エリヤに向けられたサタンの矢だったのかもしれませんが、それですべて説明がつく、とは私は信じません。そこには別の要因もあったかもしれない、と私は信じています(私にその証明はできませんが、これは大いに原則にかなっています)。つまりこういうことです。エリヤは民の心の変わりやすさをよく知っていたのです。彼は民が叫ぶのを聞き、民がエホバを称えるのを見ましたが、彼はこの民を知っていました。彼らがそのように叫んでいるのは、ただ、何かが外面的・客観的方法で起きたからにすぎず、主が御力を現わして示されたからにすぎませんでした。この民の心の変わりやすさ、不安定さをエリヤは知っていました。彼の心は満足しませんでした。ですから、彼は大きな絶望の状態の中にあり、主に対して不満を注ぎ出します。「私は万軍の主なる神のために大いに熱心でした。イスラエルの子らがあなたの契約を捨てて、あなたの祭壇を打ち倒したからです」云々。カルメル山のこの出来事の後はじめて、民が「主こそ神である」と叫んだ後はじめて、主はエリヤに向かって「イスラエルにはまだ、バアルに膝をかがめなかった七千人がいる」と仰せられたことに、あなたは気づいているでしょうか(この点に私は衝撃を受けました)。あなたがこの意義を理解しているかどうか私には疑問です。私にとってそれは啓示でした。愛する人よ、主が何かを外面的に行われる日、リバイバルの日に、群れをなして来るかもしれない人々は勝利者ではありません。彼らがそこにいるのは、何かが起きているからです。神が欲しておられるのは、それよりも深いものです。バアルに屈したことのない膝であって、リバイバルの中に入って来た膝ではありません。リバイバルを決して必要とはしていなかったけれども、他のすべてのものが間違った道を進んでいる時に、密かに神と共にあった膝です。エリヤが心の中で次のように言っていたとすると、印象的です。「確かに、これはまったく結構なことです。示威的行為がある時、力が現わされる時、人々はこのように姿を現すことができます。しかし、ああ、彼らは長続きしません!もし状況が悪化して、外側のしるしがすべて消え去るなら、彼らは再び離れて行くでしょう。私が欲しているのは、それよりも深いものです。しかし、それは見当たりません」。主は仰せられます、「私には七千人がいます。彼らは叫んでいませんが、彼らの心は始終私と共にありました。彼らにリバイバルは全く必要ありませんでした。彼らの心は真実だったのです」。


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