勝利者にはこの同じ特徴がある

 私たちはダビデの三勇士の事例について読みました。これはこの同じ原則を側面から照らす光に他なりません。ダビデはある日、あるものを大いに切望して言いました、「ああ、だれかべツレヘムの門の傍らにある井戸の水を私に飲ませてくれるとよいのだが!」。そこでこの三勇士はペリシテ人の軍勢を突破し、自分たちの命をかけて、その井戸の水をダビデのために持ってきました。彼らは「勝利者」でした。何が彼らを勝利者にしたのでしょう?彼らは自分たちの主君である王の意向を察しました。彼らは自分の命を惜しいとは思いませんでした。この原則がわかります。

 勝利者は、いわゆる「勝利者の真理」というある特別な種類の教えのために立つ人ではありません。あるいは、「勝利者」について話すある特定の人々の団体でもありません。勝利者は、一つのすべてを支配し、すべてを制御する情熱を心に抱く人や団体です。自分たちには祝福や事物はなくても構わない、神が御民の間で完全な満足を得られますように、という情熱です。彼らは開いた目で、聖徒たちの中にある彼の嗣業の栄光の富が何を意味するのかを見て、自分の心を定めた人々です。次の御言葉に再び注意して下さい、「あなたたちの心の目が照らされて(中略)あなたたちが知りますように」。

 勝利者が登場するのは、主の民が全般的にこのビジョンと立場を失った時です。ですから、この問題は比較的小さな団体に限られているのを、常に見い出します。他の人々は主の民であり、主の事柄に大いに専念しているかもしれませんが、往々にして、彼らの探求や関心は祝福やその類の事柄です。時として、それは霊的力の事柄であり、彼らの祈りは常に力を求めます。彼らは、もちろん、真摯に、奉仕のための力、主によりよく仕えて、さらに用いてもらうための力を求めているつもりです。そのようなことや、他の特別な祝福を彼らは求めているのかもしれません。しかし、彼らは事物を求めていることがわかります。ああ、リバイバルを求めて祈っている人が何と大勢いることでしょう!力やリバイバルを求めて祈るのは悪いことである、と言うつもりはありません。しかし、聖徒たちのあまりにも多くがそのようなことに占有されています。それらはとても良いのですが、どこか違います。悪くはないのですが、どこか違います。


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