神御自身の心にかなう人

 ダビデの事例について、これに注意を払うことにしましょう。今や彼は熟年に達し、過去長いあいだ神と共に過ごしてきました。彼は、神の恵みを通して自分に臨んだ祝福と憐みの中に座しています。そして座している時、彼は黙想してこう考えました。「私は香柏の家に住んでいますが、エホバの契約の箱は天幕の下にあります。こんなことがあってはなりません!」。この時のダビデの心の様子が詩篇一三二篇に示されています。「私は決して私の家、私の香柏の家に入らず、私の寝台に上らず、私のまぶたにまどろみを与えません。私が主の契約の箱、主の証しのために場所を見い出すまでは」。ダビデは誓いました。ダビデの心が明らかになります。そして、これがダビデの生涯に対する鍵です。ダビデの登場からその生涯の終わりに至るまで、これがすべてであることがわかります。

 彼の登場がゴリアテと関係していたことを、あなたは覚えておられるでしょう。そのとき、彼は主の御名のために、主の権益のために熱心でした。彼が出で行ったのはイスラエルのためではなく、主のためでした。「お前が汚した万軍の主、イスラエルの軍勢の神の御名の中で、私はお前に立ち向かう」。

 また、サムエルがサウルの後継者に油を注ぐよう命じられて、エッサイの息子たちが彼の前に通された時――その時ダビデはまだ不在でした――彼は長兄に油を注ごうとしましたが、主はサムエルを押しとどめられました。主は言われました、「容貌や背丈を見てはいけません(中略)主は心を見ます」。ここでもまた、心について述べられています。

 最後に至るまでそうです。ナタンはダビデに言います、「すべてあなたの心にあるところを行いなさい」。ナタンは善人であり、ダビデの生涯の中で栄誉ある偉大な地位を占めていました。ナタンは王を叱責できる人でした。そして、その叱責をダビデは気分を害さずに受け入れることができました。ナタンは、ダビデの心を知っていたがゆえに、彼のあらゆる間違いや失敗、そして度々の恥ずべき行いを目の当たりにしているにもかかわらず、「すべてあなたの心にあるところを行いなさい」と言うことができました。

 その後、「私は、私の心にかなう人、ダビデを見い出した」という、ダビデに対するこの偉大な証しがなされます。このようなことがどうしてありえるのでしょう?ウリヤに対するダビデとその罪を見て下さい。イスラエルを数えて、国民全体に禍いをもたらしたダビデを見て下さい。そうです、さらに弱さの中にあるダビデを見て下さい。彼は殺人者であるアブサロムを、この殺人者がまったく悔い改めていないにもかかわらず、ただ天然的愛情のみに基づいて、道義的責任を見逃したのです。これが神御自身の心にかなう人でしょうか?ああ、この人には数々の失敗や弱さがありますが、この人の心の中には神がよしとされるもの――それは彼の全生涯にわたって残ります――があります。この人には、証しのための場所を見い出すという、主の権益のための熱心な焼き尽くす炎のような情熱があります。ダビデの心にとって大切なのは神の嗣業です。だから、彼は神御自身の心にかなう人なのです。


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