この血は命の根拠である

 さて、すべての根拠はこの血です。「彼らは小羊の血のゆえに彼に打ち勝った」。私は何事も当然視するつもりはありません。私は、よく知られていることを繰り返してあなたたちをうんざりさせる危険を冒すつもりです。黙示録一二・一一の「彼らは小羊の血のゆえに彼に打ち勝った」というこの節を引用する時、このように血のゆえに打ち勝つことは常套句を用いる問題である、という観念を私たちの思いから払いのけようではありませんか。すなわち、彼らはこの御言葉を握り、それを何らかの客観的方法で敵の頭上に振りかざし始めたのである、という観念を払いのけようではありませんか。跪いて、敵に対するこの血の効力と価値に訴えなければならない時があることを、私は承知しています。しかしこれを、医者が処方箋を書き記して、それを診断されたある問題に機械的な類の方法で適用するのと同じように行うことはできません。これをそのように行うことはできません。あなたがこの血に訴える時、この血が効力を発揮するには、あなたはある立場になければなりません。それは霊的な立場です。あなたは信仰によってそこになければなりません。そこであなたは第一に、信仰によって、彼の完全な義の立場の上に完全に立ちます。これは、すべての問題、疑い、神との交わりをやめさせようとする示唆を去らせなければならないことを意味します。神との豊かな交わりに関してあなたに少しでも疑いを生じさせるものは何であれ、敵の前であなたを行動不能にします。あなたも私も、神の御前でこの立場を信仰を通して取ることができなければなりません――たえず信仰の中にいなければなりません。私たちは自分自身の心の忌まわしさと咎とをよく知っています。それにもかかわらず、神の御前でこの立場を取ることができなくてはなりません――すなわち、キリストがそこにおられるように、私たちもそこにいる、という立場です。キリストの義が私たちの義の目方です。これは途方もない立場であり、神の御言葉の中にそう記されていなければ、死すべき人は誰もあえて想定しなかったであろう立場です。これが基礎です。そして、私たちの良心の上に働いてこれを妨げるものは何であれ、敵の前で私たちを麻痺させます。私たちはまず第一に、この血は神の御前で私たちにとっていかなるものなのか――この血は不朽の命について告げるものです――という立場に立って、それを片付けなければなりません。また、もちろん同じように、聖霊御自身が指摘して、「これを見なさい。これはあなたが固執しているものであり、それによってあなたは自分自身の意志で自発的に行動しています。それが神の御旨ではないことを知りつつ、あなたはそれを行っているのです。あなたはそれを捨てなければなりません」と仰せられるものは何であれ片づけなければなりません。さもないと、私たちは敵の前で敗北し、敵が優位に立ちます。敵に対して優位な地位に私たちをもたらすのは、信仰と光の中を歩むこととによる状態です。これが唯一確実で正当な証しの根拠であり、その証しという結果になります。この証しの下にはこれがあるのです。


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