私たちに関してサタンは何を狙っているのでしょう?私たちを滅ぼすことでしょうか?いいえ、私たちが時々考えるようなことではありません。彼の狙いはただ一つです。それはイエス・キリストにある神の義に関する信仰です。これが彼の狙いであり、そういうわけで義に対して胸当てという直喩が与えられています。イザヤ五九・一七の御言葉「主は義を胸当てとしてまとい」をあなたは思い出すでしょう。またエペソ六・一四には「義の胸当て」という表現があります。ここに、私たちの霊的存在にとってまさに不可欠なものが含まれていることがわかります――それは「義の胸当て」です。それは心のための覆いです。しかし、心の覆いとはいかなる意味でしょう?

 一つか二つの節を見ることにしましょう。そうすれば、その意味がすぐに分かります。ヘブル人への手紙の中で、それが別の言葉で非常に明快に説明されています。「…それは現在の時に対する比喩です。それにしたがって、供え物といけにえの両方がささげられるのですが、それらは良心について言うと、礼拝する者を完全にすることができません。(中略)まして、キリストが永遠の霊を通して、傷のない御自身を神にささげられたその血は、なおさらあなたたちの良心を清めて、死んだわざから離れさせ、生ける神に仕えるようにさせないでしょうか?」(ヘブ九・九、一四)。

 それは良心の問題です。良心はまさに心の中にあります。良心の咎めにより、あなたは心の中で気まずく感じます。この良心の咎めをあなたはどのように取り扱うのでしょう?ああ、これは何という御言葉か!この御言葉を再び見てみましょう、「……それらは良心について言うと、礼拝する者を完全にすることができません」。「良心について言うと」!これを固持して下さい。良心について完全にされること。これが目下の問題であり、神が求めておられるものです。さてこの御言葉は、象徴にすぎないいけにえや供え物について、それらはこれを決して実現できなかったが、「永遠の霊を通して傷のない御自身を神にささげられたキリストの血」は良心を清める、と述べています。これが良心を完全にすることです。キリストの血はこれをどのように実現するのでしょう?義はこの血の中にあります。この血は主イエスの不朽の性質です。不朽!私はこの言葉を思いめぐらすのが常に好きです。それは朽ちていないだけでなく、朽ちることのない性質です。朽ちることがありえず、腐敗の力が及ばない性質です。「あなたたちの中の誰が私を罪のゆえに訴えるのか」。かつてこのようにこの世に挑めた人が誰かいたでしょうか?「あなたは私の魂を地獄に捨ておかれず、あなたの聖なる者に腐敗を見させられません」(詩一六・一〇)。無理です!これに次の御言葉が続きます。「神はこの御方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。彼が死の中に捕らえられていることはありえないからです。ダビデは彼について言っています(中略)『あなたは私の魂を地獄に捨ておかず、あなたの聖なる者に腐敗を見させられません』」(使二・二四、二七)。死は彼に対して何の力もありませんでした。なぜなら、そこには何の腐敗もなかったからです。不朽性は死の力を滅ぼします。


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