「それから彼は私に言われた、『ああ、人の子よ、あなたはこれを見たか?さらにもう一度向きを変えよ。そうするなら、これらよりもさらに大いなる忌むべきものをあなたは見るだろう』」。

さらに大いなる忌むべきものを見る

 「そして、彼は私を主の家の内庭に連れて行った。すると見よ、主の宮の入口の、廊と祭壇との間に、二十五人ほどの人が、主の宮に背を向け、顔を東に向け、東に向かって太陽を拝んでいた』」。

 さて、太陽礼拝のまさに本質は自然礼拝に他ならない。われわれが自然を見渡す時、太陽はわれわれの目に映る最も輝かしい物体である。それは、その上に命と慰めとそういったすべてのものがかかっているものである。したがって、神から離れ去った心にとって、太陽が自然の諸力に向けてなされるこの礼拝の一種の中心になるのも自然なことである。

 「あなたはこれに関する考察に時間を浪費しています。この国には太陽礼拝のようなものはありませんし、私たちが神の祭壇に背を向けて太陽を拝んでいるようなこともありません」と、あなたは言うかもしれない。

 申し訳ないが、あるのである。これはまさに最も巧妙な忌むべきものなのである。

最も巧妙な忌むべきもの

 これこそまさに、今日、キリスト教徒の思いと心の中に許されているものである。これは、現代教会がいわゆる科学を異常なほど敬っていることに表れている。大衆は、創造や人の起源に関する聖書の記述から、いわゆる科学者たちの改良された理論やもっともらしい仮説に転じつつある。それらの理論は神を現象の背後に隠して、超自然を否定するものである。信仰を告白する数百万のクリスチャンが「霊の世界における自然法則」という本を買っているのを見よ。

 おそらく教会史全体を通して、今ほど、このように神の祭壇と神の宮に背を向けて自然崇拝に転じたことはなかったし、これらのものがこのような深刻な害を及ぼすこともなかった。信仰を告白する数百万のクリスチャンにとって、ドラモンドとダーウィンはモーセよりも権威があるのである。


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