すべては隠されていた

 壁に描かれていた言語を絶する忌むべきものも、イスラエルの長老たちが隠れて香を捧げていることも、すべては人の目から隠されていたのである。

 しかし、この型を適用することにしよう。われわれ自身、この宮に対応するものである。外庭、聖所、至聖所は、体、心、思いに対応している。これらすべてに関して、われわれはいくらか知っているのではないだろうか?われわれは聖別の行為により、イエスに全存在を所有してもらい、彼を心と思いの中に奉納した――その後、想像を解き放って内なる部屋の壁に世人が見たがらない絵を描いたのではないだろうか?しかも、教会通いを続けて――おそらく、日曜学校で説教したり教えたりしながら――神の民であると告白して世人の前で生活しているあいだ、そこに入ってこれをすべて眺めるのを好んでいるのではないだろうか?われわれはこれを自覚しているのではないだろうか?あるいは、もしそうでなくても、われわれは偶像を宮の中に置こうとしているのではないだろうか?

大切なもの

 口では常に「そうです、神は至高です」と言いつつ、何か大切なものをわれわれと神との間に割り込ませようとしているのではないだろうか?これについてわれわれには心当たりがあるのではないだろうか?それは金や、社会的地位や、習慣かもしれないし、あるいは自己――あらゆるものの中で最も醜い偶像――かもしれない。

 「そのとき彼は私に言われた、『人の子よ、イスラエルの家の長老たちが暗い所で行っていること、各々その想像の部屋で行っていることを見たか?』」。

 これはみな暗闇の中にあった。自分の想像が描いた絵を、われわれは喜んで外に持ち出して、われわれの仲間に見せようとするかどうか、私には疑問である!

 「彼はまた私に言われた、『さらにもう一度向きを変えよ。そうするなら、彼らが行っているさらに大いなる忌むべきことをあなたは見るだろう』。そして、彼は私を、北に向かっている主の家の門の入口に連れて行った。すると見よ、そこに女たちが座ってタンムズのために泣いていた」。

 タンムズ――太陽神礼拝である。太陽が沈んだ時、まるで彼が死んだかのように、彼らは泣くことによって彼を礼拝した。そして毎朝、まるで彼が再生したかのように、彼らは太陽に挨拶した。これは主の宮にとって大問題だった。そうではないだろうか?


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