シェキナの栄光

 イスラエルの恵みの座には、贖いの血が降り注がれた。そして宮が、人の面に関して、聖別されたのは、箱がその最も内側の部屋に設置された時だった。それと同じように、われわれが、一つの熟考された明確な行いにより、神だけの住まい・所有となるために、神に明け渡した時、われわれの全存在すなわち体・魂・霊は聖別されたのである。

 型である宮の幾つかの部分について考える時、進み出る方法だけでなく、その行為は確実に完了していることを、われわれは確かに知ることができる。聖別における神の役割について、われわれは何の懸念も抱かない。神は御自身の役割を果たして下さる、と安心して信頼できる。

 第一に、祭司たちが箱を運び入れた。神は御使いたちを遣わしてそうさせることをなさらなかったし、超自然的手段によってそれを助けることも決してなさらなかった。それは人の側に全くかかっている行為だった。それは、祭司たちの自発的な熟考された行いだった。

 第二。彼らは至聖所の中にそれを運び入れた。彼らは前庭で止まらなかったし、聖所でも止まらなかった。彼らは宮のいかなる部分も自分たちのために保持しなかった。彼らは箱をその最も奥まった場所に、あの最も神秘的な部屋に運び入れた。その部屋は、金や高価な大理石、そして彫刻家の見事な作品により、美しい高級なものに造られていた――そこは高ぶりが極めて容易に侵入するところである――そこに彼らは箱を運び入れたのである。

 第三。彼らは竿を引き抜いた。これはとても素晴らしい象徴的行為だった。竿が何だったのかは御存知だろう。竿は木の棒であり、それによって箱をあちこちに運んだのである。そして、荒野を放浪している間、竿を抜いてはならないという特別な命令が与えられていた。この行為の意義が分かるだろうか?それは決定的行為だったのである!彼らにはそれを繰り返すつもりはなかった。彼らは至聖所を主に永遠に所有していただくために、それを主に明け渡したのである。イスラエルには繰り返すべき儀式がたくさんあったが、「再聖別」はその一つではなかった。彼らは聖別に関して本気だったのである。それは一度きりのものだったのである。

 第四。彼らは出て行った。彼らはそこに残って至聖所を主と共有することをしなかった。そして、「祭司たちが聖所から出て来た時、雲が主の家を満たした」ことがわかる。

 祭司たちが中にとどまっていたなら、雲は決して家を満たさなかっただろうと、私は確信している。

 見よ、至聖所を明け渡すこと自体が、宮を明け渡すことだったのである。至聖所に到達するために、箱は外庭を通り過ぎ、聖所を通り過ぎたのである。止まることはなかったのである。


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