内側に湧き上がる泉

 これは何と素晴らしい象徴であることか!それは、他のすべての教えとは何と異なっており、霊の命の絶えざる更新について物語っていることか。ヤコブの井戸との比較をあなたは御存知だろう。ヤコブの井戸はとても深く、そこから水を汲むには労力が必要だった。われわれの主が女にこの生ける水――この水はその井戸の底にあるものではなく湧き上がるものだった――について語られた時、彼女は「あなたはどこでその水を手に入れられるのですか?あなたは汲む物をお持ちにならず、しかも井戸は深いのです」と尋ねた。

 これは何という対比であり、平均的クリスチャン生活の絵図だろう!

 われわれは仮にもクリスチャンであるからには、何とかやっていかなければならない。曲がりなりにもその日を乗り切らなければならない。しかし、それはまさに、ヤコブの井戸から労苦して水を汲むこの貧しい女のようである。われわれは一度に少ししか水を汲めない。われわれの中には「自分には汲む物がなく、霊的であるには絶え間ない努力が必要である」と感じている者もいる。それに対して、われわれの主はこの泉の絵図を示しておられる。この泉はそれ自身の素晴らしい力で湧き上がり、その水晶のような奔流を澄んだ空気に放ち、陽光の中で踊り煌めく。その後、流れ去り、陽光のキスを受けて再び群青色になる。

 さて、クリスチャン生活、キリストが思い描いておられる真の霊的生活は、その内にその源を持っていて、その新鮮さと活力と力が新たにされる生活である。その源は湧き上がる泉であり、この泉はさらに高い源――それが下るのは再び上るためである――から絶えず供給を受けている。

 ここに、「干上がるのではないか」と半ば恐れている谷間の小さな泉がある。しかし、それが湧き出ている山は言う、「あなたが干上がることはありません。私が常にあなたの豊かさを新しくしているからです」。

 これは平均的生活に対する何という対比だろう!ここには豊かな神の力があり、神の全能の御霊がおられる。御霊はわれわれの内に住まわれるだけでなく、信者の内で生き生きとした生命力――それは常に新しく、御霊御自身がその無尽蔵の源である――になることを願っておられる。

 さて、われわれのクリスチャン生活はこうだろうか?それとも、われわれの背中が痛むようになるまで、軋る巻き上げ機で、ヤコブの井戸から苦労して水を汲まなければならないのだろうか?これは対照的である。


オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館
オリーブ園クリスチャン古典ライブラリー 本館へ

コメント
トラックバック
トラックバックURL
コメントフォーム
管理者にだけ表示を許可する
プロフィール
カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
全記事表示リンク
検索フォーム
個人のブログに関するリンク集
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

電子書籍
Glorious Secret
ジェシー・ペン-ルイス
「栄光の奥義」


The Cross of Christ
アンドリュー・マーレー
「キリストの十字架」


ランキングサイト
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ

人気ブログランキングへ ブログランキング

ブログのまどランキングへ ブログ王へ

ブログランキング【くつろぐ】

QRコード
QR
カウンター

Page Top
Powered by FC2 Blog | | Template Design by スタンダード・デザインラボ