環境はこれを狭めることはできない

 ここで、至極もっともな反論の機先を制することを許してもらいたい。あなたたちはこう言うだろう、「私は無名の者です。神は私を狭い環境の中に、所定のささやかな義務の中に置かれました。私は農場で暮らしています。私は村で暮らしています。私は工場で労苦しています。私は革や木を機械に送り込む単調な仕事をしており、それらを二度と目にすることはありません。私は耕作をしています、私は鋤で掘っています、私はヤード単位で布を売っています、私は鍋や皿を売っています。鍋を洗う大々的で見事な方法を私は何も知りません。私は小さな地区の学校を預かっています。私は自分の仕事に専念しなければなりません。私の背は曲がり、私の筋肉は硬くて痛んでいます。私は喜びに満ちた若いダビデではありません。ダビデは主から油塗られ、自由に行き来し、不滅の歌を歌い、人々を治めることができました」。

忍耐深い、親愛なる心よ、これを聞け

 イエス・キリストはナザレで三十年生活されたが、ナザレが御自分の人生の大きさを決めるのを決してお許しにならなかった。あなたは少年の彼が母親を助け、赤ん坊を抱き、泉から水を、店から麦わらを取って来るのを思い浮かべるかもしれない。彼はくびきを造られた。私が思うに、彼は大きな鉄の機械で大量生産したのではなく、一つ一つ、農夫の肩――広い肩や狭い肩、猫背の肩や真っすぐな肩――に合うように、忍耐強く造られたことだろう。三十年、彼はそこで生活された。そしてそこで、この世界がかつて目にしたことのない最高に素晴らしい人格が成熟に達したのである。

 御霊によるバプテスマによって力が加えられ、苦難によって同情心が完成された。しかし、かつて生きた人の中で最も偉大で自由なこの人は、ある日、自分の大工道具を捨て、ヨハネのバプテスマを受けるためにヨルダンに歩いて下って行かれた。

 その秘訣があなたには分からないだろうか?ナザレがその小ささを自分に課すのを、彼は決して許されなかったのである。いかなる人種的制約、環境的制約、性格的制約も受けないこの人は、パンのために労する一村民だったのである。

 私たちの多くは、素晴らしい世界に生きて、素晴らしい取引の一翼を担う役割を与えられていない。われわれの生活はささやかな配慮や義務の繰り返しである。しかし、イエス・キリストはわれわれの環境よりもさらに狭い環境の中で生活された。新聞、電信、鉄道、蒸気船は、私たちの中の最も遠くの者にも、贈物を届けてくれる。

 ――ホメロスは一切れのパンの耳のために、貧困の中、感謝されることもなく、戸口から戸口へと、その不滅の歌を唱えて回った。

 ――ミルトンは肉体的には盲目だったが、霊の中では過去のパラダイスから将来のパラダイスにまで及んだ。

 ――ダンテは流浪の身で、ある小さな中世の町にいたとき、「他人の階段の険しさと他人のパンのしょっぱさ」を学んだが、天と地獄の深淵を理解していた。

 「しかし、私たちはホメロスや、ミルトンや、ダンテではありません」とあなたは言うのか?

 神に感謝せよ!私はミルトンの名声よりも私の二つの目を、ダンテの流浪よりも私自身の素晴らしい故郷を、ホメロスの放浪よりも私の慎ましい家を選ぶ。しかし確かに、われわれの魂には飛翔する力がある。その翼は、ダンテの途方もない螺旋は描けなくても、どこかの上空をある程度の距離羽ばたくことはできるのである。


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