「善」とは何か?

 これがわれわれの前にある問題である。しかし、少しのあいだ立ち止まって「善」というこのささやかな言葉について考えない限り、われわれは決してパウロが何を言わんとしているのかを理解できない。

 パウロがしようと思ってもできないこの善とは何か?われわれは幾つかの事柄をただちに排除することができる。彼がここで述べているのは道徳規範、誠実さ、優しさ、高潔さ、夫・親・友人としての人同士の関係における信実さについてではない。これらの事柄は完全に意志の力の範囲内にある。われわれはみな、キリスト教的力や影響からはかけ離れているのに、これらの資質をすべて備えている人々を知っている。どの団体にも、クリスチャンではないが、公正さ、真実さ、誠実さ、優しさ、勇気を兼ね備えた、助けになる、清い、高尚な生き方をしている人々がいる。使徒パウロが述べているのは、これらの善い資質のことではまったくない。これらの事柄を彼は生涯ずっと行ってきていた。この領域では彼の意志は有効だった。

 また、この善という言葉で彼の念頭にあったのは、一般的な信心深さ、教会員の資格、教会通い、祈りを唱えること、聖書朗読、献金ではなかった。これらの事柄を、彼は意志の力で生涯ずっと行ってきていた。彼は当時、自分の意志を良心的に用いることにより、一流の宗教家だったのである。

 それでは、そうしようとしても達成できない善について述べることにより、彼は何を言わんとしているのか?

 彼が言わんとしているのは、「私にとって生きることはキリストであり、死ぬことは益です」ということである。また、「私はキリストと共に十字架に付けられています。それにもかかわらず私は生きています。しかし私ではなくキリストが、私の内に生きておられます。そして私がいま肉体にあって生きている命を、私は神の御子の信仰によって生きます。この方は私を愛して私のために御自身を与えて下さいました」ということである。

 キリストに似た者となることに関して彼の念頭にあったのは――キリストが人々の前で複製されることだったのである


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