しかし、キリストの御言葉はすべてのクリスチャンに一般的に適用できることは、次の点を考慮してもわかる。すなわちキリストは、信仰の祈りが持つこれらの素晴らしい可能性に関する保証を、祈る時には赦しの霊を持つ必要があるという勧めと、直接結びつけられたことである。このような勧めを、疑いもなく、われわれは自分自身に親しく適用することができる。祈りの際の赦しに関するこの命令は、祈りの際の信仰に関する保証と同じく、直接的には使徒たちに宛てられているが、それは彼らが特別な使徒的能力を持っていたからではなく、クリスチャンを代表していたからにすぎない。さて、祈りの際の赦しに関するこの勧めを適用するのをためらうことは、われわれの誰にもできない。そうである以上、祈りの際の信仰に関するこの励ましを適用するのを、どうしてためらう必要があろうか。そして、「祈るとき信じよ」というこの点について適用するのを――ほとんどのクリスチャンがためらわないように――われわれもためらわない以上、驚きのあまり唖然として、どうしてさらなる適用――つまり、「命令するとき信じよ」という同類の励ましに関して――をたじろぐ必要があるだろうか?ただし、もちろん、神に栄光を帰す機会を選ぶ聖霊の支配権を認めることが必要である。

 マルコによる福音書のこの節に関するこの見解、すなわち、「祈りの際の御座の信仰はわれわれの共通の遺産である」という見解を確かめるために、ヤコブの手紙五・一四~一八から導かれる同様の推論と比較せよ。この使徒が、祈りの力の例として、エリヤの例――エリヤは旱魃と雨のために交互に祈った――を挙げることにより、「病人の回復のために勝利の祈りを捧げよ」というわれわれに対する彼の励ましを、どのように裏付けているのかに注目せよ。また、次の事実が強調されていることにも注意せよ。すなわち、彼がこのように効果的に祈った時、彼は他の人々よりも義人だったわけではなく、「私たちと同じような心情」の人だったのである。


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