二.迷いの罠

 これは、ギベオンの住人が欺きによってイスラエルと結んだ同盟の中に、典型的に示されている。他のカナン人のように、ギベオン人は侵略者たちの進攻に恐れおののいた。しかし、他とは違って、彼らには武器に頼って虐殺から逃れる望みはなかった。それゆえ、彼らは生き延びる手段として政略と偽りに頼ることを決意した。そしてそれによって、イスラエル人と同盟を確立すること、また他のカナン人の怒りからの保護を得ることにも成功したのである。ギベオンからの変装した大使たちが、ある日、ヨシュアとその戦士たちの前に現れた。彼らはぼろぼろに破れた衣をまとい、すりきれた靴を履いていた。そして、破れてつぎはぎがしてある古い革製の葡萄酒の袋と、乾燥してかびが生えているパンの塊を携えていた。これはみな、彼らがカナンの境界の遥か彼方から長旅をしてきたかのように見せかけるためだった。彼らは、噂でイスラエル人の遠征について聞いた民、したがって彼らと盟約を結ぶことを願っている民の代表であるかのように装った。イスラエルの子らがどのように外見によって騙されたのか、そしてどのように、迷いと疑いの中、自分たちの間で相談して議論したものの、解決を求めてこの困難を神のもとに持って行くことに失敗したのか、私たちは知っている。その結果彼らは、友好的な同盟の印として、その古い糧食にあずかるという拘束力のある致命的行為に導かれたのである。

 これはみな、サタンと接近戦をしている今日の聖徒たちによってしばしば示される知恵の弱さに関する、嘆かわしい例証である。勇気に欠けているわけでも、忠誠心に欠けているわけでもないかもしれないが、悲しむべきことに、霊的識別力に欠けているのである。そして、この特別な問題でしくじったのは、十分な知恵を得ることができなかったり、用いることができなかったからではない。ただ、この緊急事態の襲来の中、それについて神に尋ねる時間を取らなかったからなのである。

 敵と妥協して、曖昧ではあるが原則上本質的な点で譲歩することによって、このように自分の霊的高潔さから堕落してしまう不利益に関するこのような数々の事例には、次のようなほとんど拭いようのない印象が常に伴っている。すなわち、疑いか確信か、希望か恐れかのどちらかを、その場で決めなければならないかのような印象である。敵の大使たちは、言わば、理屈をまくしたて、とめどなく話し、あらゆる瞬間を活用してわれわれの目の前に彼らの古い袋、ぼろぼろの衣、すりきれた靴、かびの生えたパンを繰り出す。それは、われわれが祈り深く熟考するための時間を見い出す前に、われわれの注意を引き付け、われわれの決断の機先を制するためである。このようにして、気づかぬうちに、われわれは彼らの糧食を味わうよう誘われる。その結果、われわれは手遅れになってから気付くのである。そうすることによって自分がまたもや善と悪を知る知識の禁断の木から実をもぎ取ってしまったことに、そして、サタンと妥協して神が呪われたものを惜しむという罪の中に自分が巻き込まれてしまったことに気付くのである。


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