しかしさらに、霊的理解のさらなる進展がここで象徴的に示されている。というのはヨルダン川で信者は、自分の霊的死と復活そして自分の以前の自己からの日毎の実際的分離が効力を発揮する道を、はっきりと理解するようになるからである。すなわち、この道はキリストの実際の死と復活によるのである。なぜなら今や信者は、経験的理解のための基礎として、次のことを教理的に理解するからである。すなわち、信仰を活用して自分が霊的に経験することはみな、キリストが文字通り経験されたことといかに見事に同じであるのかを理解するのである。それゆえ信者は、以前は持っていなかった確信を自覚して喜びつつ、「私はキリストと共に十字架に付けられました。それでも私が生きているのは、もはや私ではなく、キリストが私の中に生きておられるのです」(ガラ二・二〇、改定訳)と言うことを学ぶ。

 ヨルダン川渡渉の中にこの教理的・経験的象徴が示されていることを認識するには、血が染みついた恵みの御座を伴う契約の箱――これはみな、神・人キリストの身代わりの犠牲の鮮明な絵図である――を担う祭司たちがどのように群れの前を進んで行って、その後、すべての民が渡り終わるまで、流れの真ん中にじっと立っていたのかに注意せよ。ここに絵図として、予定・成就された贖いの御業である、われわれの主の死と復活の経験が、信者が霊的に同様の経験をするための唯一の根拠として示されている。次に、どのように十二の石の最初の組――それらは川の中に残されて、「肉による」イスラエル人を象徴していた――が、祭司たちが立ったのと全く同じ場所に置かれたのかに注意せよ。また、どのように「御霊による」イスラエル人を示す別の組が、そのまさに同じ場所から取られて、カナン側の岸辺に据えられたのかに注意せよ。これは次のことを教える。すなわち、信者の霊的死と復活が神によってキリストの文字通りの死と復活と一体化されるだけでなく、信者の古い自己からの実際的分離もそうなのである。そして私たちは知る。この神聖な一体化という事実を考慮して、聖霊はそれを、「肉の支配から実際的に解放された」という幸いな意識の中に信者をもたらすための、効果的な根拠とされるのである。それにより、信者は古い人をその行いと共に脱ぎ捨てて新しい人を着ることができるようになる。そしてこうして、「自分は確かに罪に対して死んでおり、死者から生かされて神に対して生きている」と見なせるようになり、命の新しさの中で御霊にしたがって歩く願いだけでなくその能力をも持つようになるのである。


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