四.尋ね求めている信者と諸々の妨げ

 さて、御座の生活の実現を妨げるおそれがある諸々の妨げについて指摘することにする。その幾つかの妨げの性質はささいなものかもしれないが、その影響はささいなものではない。

第一の妨げ:不完全な願い

 勝利者になろうとするとき、あなたの動機はあなたが思っているほど純粋なものではないかもしれない。あなたは求めるが、受けない。受けないのは、自分の欲のためにそれを費やそうとしているからである。使徒ヤコブが書き送った人々と同じである。神の栄光のためではなく、何らかの霊的利益のためにそれを費やすことを、あなたは願っているのである。つまり、求めるあなたの動機が、求める必要性に関するあなたの確信ほど純粋ではないかもしれないのである。それで、あなたを困惑させることをサタンは許されているのである。「神は侮られるような方ではない」からである。

 あるいはまた、あなたの願いは純粋かもしれないが、低調で効果のないものなのかもしれない。あなたは「高度な」クリスチャン経験に安んじることに満足していて、最高のものを求めていないのである。それに到達するには、自己の意志が巧妙に保留しているものさえも明け渡すという代価が必要だからである。それらの保留物は、あなたの天然的性格の中に埋め込まれているものである。例えば、好奇心、批判的な気難しさ、独立心、方針、あるいは他の個人的に保留しているものである。これらは献身の初期の段階ではほとんどわからないが、今や、備えられている救いを完全に享受することを邪魔するのである。

第二の妨げ:感傷的で、頭でっかちな教理知識

 理論的に、あなたは自分がキリストにあって天上にあることを信じている。あなたはこの教理を聖書的であると受け入れ、それを主張して宣言する。しかし、それから実際的益をまったく得ない。それは勝利や喜びの実感をあなたに与えない。この教理はサタンに対する力に関する相応の経験に自分をもたらす、とあなたは夢にも思わない。明らかに、あなたの信仰のこの間違った考えはありふれたものであり、霊的真理の知的理解をその霊的理解と勘違いしたものである。このような誤った信仰には本物のような輝きと外観があるが、化粧張りやワニスのようなものであり、表面的であって本質的ではない。

 例えば、あなたは自分の天的地位を信じているが、それは多くの回心していない人々がキリストを自分の救い主として信じているのと同じことであり、あるいは、肉的な先入観を抱いている多くのクリスチャンがキリストを自分の聖別として信じているのと同じことである。つまり、それに付随する解放を経験・目撃していないのである。しかしその間、自分自身の経験から、あなたは次のことを知る。最初に義認のために、そして次に聖別のためにキリストをとらえて、喜びと自由の一連の明確な段階に入っていたとしても、自分は天上でキリストと共に王座に着いていることを受け入れることについては、それによる追加の益を全く自覚しないおそれがあるのである。それゆえ、あなたは今、知恵と啓示の霊が自分に与えられるように祈る必要がある。また、自分が知的に同意しているすべての真理に関して、光で照らされ、力づけられて、新たに喜べるように祈る必要がある。


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