事例三.神秘的な印象、声、幻、愉悦等によるサタンの攻撃

 この信者は長い間これらの印象や幻をすべて神からのものと見なしてきたし、これらの声も同様に見なしてきた。なぜなら、それらのものは、多くの点で、他の数々の導き――それらが神聖なものであることについて彼には何の疑いもない――を真似していたからである。それゆえ、彼は疑問を抱かずにそれらに従う習慣に陥る。そして遂には、自分を制する力をほとんど失い、実質的にそれらの奴隷になってしまう。それらは度々彼を矛盾する結論に導き、馬鹿らしい行いや過ちに導くため、後になって彼は困惑と後悔の中に取り残される。また、それらのせいで、神は愛すべきでない、暴君的で非道なものに思われるようになる。そして、神の善良さと臨在を疑う寸前のところにまで信者は導かれる。そのため最終的に信者は目覚めて、自分の理性・良心・意志を堅く捉えたこれらの印象、声、幻はサタンからのものにちがいないことを理解する。しかしそれでも、これらのものを聞いて注意を払う習慣が第二の天性のようになっているため、彼はそれらの力から逃れられない。

事例四.福音的・牧会的・キリスト教的奉仕を邪魔することによるサタンの攻撃

 この信者は、祈り深く念入りに尋ね求めた後、自分は主に置かれた所にいること、そして、主が自分に行わせたいことをあらゆる点で行っていることを確信するが、それに見合う成果は阻まれていてつぼみのままである。そして彼は光で照らされて、これに対する他の数々の原因の背後にある原因はサタンの干渉であることを悟る。彼はサタンの狡猾さを、数々の小さな原因という蜘蛛の巣の中に察知する。例えば、偽善的な同労者の介入、経験のない働き人のしつこい相談、あるいは、中傷者による隠然たる或いは公然たる反対、陰口、噂話などである。これらすべてのものの中に、この信者は仕組まれた信仰の罠を見る。それにもかかわらず、彼の信仰は大いに制限され、彼の霊は悩まされている。


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